2025年 「AI住宅」が健康生活演出 「ドクター」「トレーナー」が住む人にアドバイス

AI要約

1970年大阪万博で紹介されたミサワホームの未来住宅「ヘリコ」は、建設の速さと移動の容易さが特徴で、社会課題の解決策を探ろうという当時の社長の思いが反映されていた。

万博では他にも未来の居住スタイルが提案され、一部は後に実現し普及した。70年万博は洋式の生活スタイルが日本で普及する契機にもなった。

2025年大阪・関西万博でも「未来の住まい」が提案される見込みだ。

2025年 「AI住宅」が健康生活演出 「ドクター」「トレーナー」が住む人にアドバイス

「住まい」は幸せの象徴だ。人はそこに豊かさや便利さを希求し、万博も居住スタイルの進化に大きな役割を果たしてきた。未来の住まいに求められる幸せの形とは-。

1970(昭和45)年大阪万博。会場にアニメの宇宙基地のような奇妙な建物が登場し来場客を驚かせた。休憩所として使われたミサワホームの新型住宅「ヘリコ」だ。

エスペラント語で「カタツムリ」を意味するヘリコ。同社が69年に開発を始めた。「現在の住宅感覚から一歩抜け出た未来住宅」「転勤やバカンスの時には、トレーラーやヘリコプターで住まいごと運搬できる」。当時の同社の広報誌にはこう紹介されている。

特徴は建設の速さと移動の容易さ。工場で生産されたブロック状の部屋を複数運び、鉄塔に取り付けると即座に多層階の住宅ができる。万博会場へはトレーラーで運び込まれたが、研究段階ではヘリコプターも使われた〝空飛ぶ家〟だ。

「究極の住宅の工業化を進めるとともに、深刻化していた住宅難を解決したいという当時の社長の思いがあった」

同社の桜沢雅樹常務執行役員はこう話す。60年代後半、都市への人口流入が急激に進み、住宅不足が加速していた。技術革新を通じて描く、ひたすら豊かで便利な「明るい未来」を追求していた当時の万博。だがヘリコには、社会課題の解決策を探ろうという現代の万博の萌芽が見て取れた。

万博ではほかにも未来の居住スタイルが提案された。微細な泡で体の汚れを落とす「人間洗濯機」、ボタン一つで調理から配膳、食事、収納までできる「フラワーキッチン」、巨大画面にレーザービームを使って明るい画像を映し出す「レーザーカラーテレビ」…。

その後、ヘリコはトレーラーハウス、フラワーキッチンはスマートフォンを使った家電の遠隔操作など、それぞれが形を変えて実現し普及した。

また70年万博は、洋式の生活スタイルが日本で普及する契機にもなった。会場に多数投入された洋式トイレは、多くの人が利用方法がわからず困惑。しかし、当時を知る関西の住宅業界関係者は「人々が洋式に慣れ、その後の普及のきっかけになったのは間違いない」と指摘する。

2025年大阪・関西万博も「未来の住まい」が提案される。