融資を止めた「離れ技」 トライアンフ・スタッグ・サルーン/エステート(1) V8も入ったエンジンルーム

AI要約

トライアンフ2000 エステートから2.0L直列6気筒ユニットを降ろすと、空になったエンジンルームがトライアンフ・スタッグとそっくりだと知ったデル・ラインズ氏。エンジンの不調で引き取った実用的なステーションワゴンのクルマをV8エンジンで改造し、ラリーのサポート車両として活躍させた。

完全なスタッグへのコンバージョンを始めたラインズ氏は、トライアンフ2000 エステートを活用し、V8エンジンを搭載して20万km近く走行した。他の人からも同様の改造依頼を受けるほどの評価を得た。

残念ながら最初の改造車は失われてしまったが、ラインズ氏の斬新なアイデアと実行力が示されたストーリー。

融資を止めた「離れ技」 トライアンフ・スタッグ・サルーン/エステート(1) V8も入ったエンジンルーム

トライアンフ2000 エステートから2.0L直列6気筒ユニットを降ろすと、空になったエンジンルームがトライアンフ・スタッグとそっくりだと知った、デル・ラインズ氏。きっと、不敵な笑みを浮かべたに違いない。

実際、エンジンルームへ伸びるフロントのシャシーレッグは、2ドアのスタッグと同じだった。彼はその時、量産メーカーが実行しないアイデアをひらめいたようだ。

ラインズは、1970年代初頭にグレートブリテン島南西部、ウェストン・スーパーメアの小さな店舗を購入。トライアンフを専門にする整備工場、アトランティック・ガレージを兄弟で営んでいた。

当時のトライアンフTR6や2.5 PIに実装された、ルーカス社製のインジェクション・システムは不具合が多く、その修理を得意とした。アマチュアのラリードライバーとしても活動し、シャシーのチューニング方法を研究してもいた。

ラリーへの参戦には、マシンを牽引する手段が必要だった。そこでラインズが準備したのが、1966年式のトライアンフ2000 エステート。実用的なステーションワゴンは、エンジンの不調で引き取ったクルマだったらしい。

その隣には、1970年に新車で購入され、800kmほど走ったところで大破したスタッグも停まっていた。そのオーナーが招いた事故をきっかけに、新しいV8ユニットが2000にも収まることを、ラインズは発見することとなった。

トライアンフの関係者を除いて、彼は最初にそれを知った人物の1人だったはず。そもそもスタッグの試作車は、オーバーヘッドバルブの直列6気筒エンジンを搭載し、サルーンのオープントップ仕様が想定されていたのだ。

大きな市場になっていた北米では、V8エンジンの搭載が望まれていた。トライアンフも、すべてのモデルを新しいエンジン・シリーズへ移行することを検討していた。

互換性を、当初から同社は重要視していた。エンジンマウントとトランスミッション、バッテリーボックスを統一させることで、直列4気筒やV型6気筒を想定したモデルにも、V型8気筒の搭載が可能なように設計されていた。

この特徴を見抜いたラインズは、2000 エステートのエンジンルームへ3.0L V8エンジンを押し込んだ。ステーションワゴンのリアには「V8 3Litre」、サイドには「STAG」のエンブレムを貼り、控え目に違いを主張した。

V8エンジンで走る2000 エステートは、ラリーの有能なサポート車両として活躍。4年間に走行距離は20万km近くへ伸ばされた。このクルマへ感心を寄せ、同様のコンバージョンを依頼する人も現れたほど。

残念ながら、彼が最初にスタッグ用のエンジンとトランスミッションで置き換えた2000 エステートは、既に失われている。1963年に発売された、Mk1がベースだったようだ。