慌てるな、こんな円急騰はこれまでにも何度もあった!円安は時間をかけて進み、円高は一気に進む…その構造がわかれば先は読める!

AI要約

1979年から85年まで円安・ドル高のトレンドが続いた。FRBが金利ではなく通貨供給量をコントロールする「量的引締め」を行ったことが要因となった。

機関投資家らは高金利に誘引されて大規模な円売り・ドル買いを行い、円相場を急騰させた。ドル債投資の損益分岐点を計算し、ドル下落による為替の損失より金利格差の益が優ると考えた。

円急騰・ドル暴落は過去にも起こっており、その特性を理解することで今回の円相場急騰・株価暴落の構図を読み解く手助けとなる。

慌てるな、こんな円急騰はこれまでにも何度もあった!円安は時間をかけて進み、円高は一気に進む…その構造がわかれば先は読める!

7月下旬以来の円相場は久しぶりに目を見はるような円急騰・ドル急落だった。筆者は1979年に当時外為専門銀行と呼ばれた東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行し、1980年代から90年代に通算約15年を外為ディーリング、とりわけ金融派生取引の通貨オプション取引のチーフ・ディーラー(後に担当次長)として勤務したので、今も昔も変わらない円相場の変動特性は体験を通じて知っている。

そこで円相場の2つ特性を整理して、最後に今回の円相場急騰・株価暴落の構図を読み解いてみよう。まずは過去の印象的な相場局面を幾つか振り返ることが、円相場の特性を理解する助けになるだろう。

この特性が際立った最も大きな相場は、1980年代前半の円安・ドル高と85年9月のプラザ合意を契機にした円急騰・ドル暴落だ。図1の赤枠で囲った時期をご覧頂きたい。

1979年代から85年までジグザグを描きながら1ドル=200円割れの水準から280円前後まで円安・ドル高のトレンドが続いた。

第2次石油ショックの影響で、1979年から米国は消費者物価指数で前年比10%を超えるインフレとなった。FRBのボルガー議長はインフレ鎮静化のために当時影響力を強めていたマネタリズムのアプローチを採用した。つまり金利ではなく通貨供給量をコントロールするという「量的引締め」を行ったのだ。この政策では必然的に金利水準は「市場に委ねる」ものとなる。

その結果、米国の銀行間市場の短期金利(Federal Fund Rate)も、長期金利(10年物米国債利回り)も10%を超え、内外金利格差が拡大し、対円と対欧州通貨の双方で全般的なドル高基調となった。

この動きを当時日本で主導したのは、生保や損保に代表される機関投資家であり、彼らは米国債の高金利に誘引されて、大規模な円売り・ドル買いで米国債投資残高を積み上げた。彼らのドル買い自体がドル高を引き起こしたのだ。

もちろん機関投資家らはドル相場が下げれば損失になることは承知だったが、ドル債投資の損益分岐点を次のように考えた。例えば1ドル=250円で、10年物米国債の利回りが12%、同期間の円国債が7%で5%の金利差がある場合、10年後の為替相場の損益分岐点(円債投資とドル債投資の円ベースの利回りが同じになる為替相場)は、以下の計算で1ドル=158.34円になる。

158.34=250×(1+0.07)10/(1+0.12)10

機関投資家の債券運用担当らは1ドル=250円前後の時期に10年後に150円台までドルが下落する可能性など非常に乏しいと考えて、ドル下落による為替の損失リスクよりも金利格差の益が優ると考えたわけだ。