料理の8割腐ってたプノンペン「京都」、バンコク「北京飯店」…アジアの場末にあったヤバすぎる日本食堂たち

AI要約

日本食を海外で恋しく思う人々に向けて、海外での日本食事情について紹介。

かつては安くて質の悪い日本食店も存在していたが、今やネットの情報拡散により見かけなくなった。

バンコクやプノンペンにおいても、安くて質の悪いが愛される日本食店があったが、停電などの問題から料理が腐る事態も。

料理の8割腐ってたプノンペン「京都」、バンコク「北京飯店」…アジアの場末にあったヤバすぎる日本食堂たち

 海外に長くいて恋しくなるものと言えば、ラーメンだのカツ丼だの、日本で食べ慣れた故郷の味。

 昨今の円安と物価上昇で、海外では気軽に食べられないイメージの日本食だが、安い店が消え去ったわけではなく、丹念に探せばお手頃価格の店もまだ見つかる。ただ、秒速で情報が拡散するネット時代、90年代に幅をきかせていたような「安かろう、悪かろう、それでもよかろう」的なお店はめっきり見かけなくなった。

 例えばバンコクの中華街(ヤワラート)に存在した「北京飯店」。日本食を出すなど想像もできない斜め上のネーミングだが、最盛期は客のほとんどが日本人。メニューの8割が日本食だった。

 店内は穴ぐらのように暗く、高温多湿で清潔感ゼロ。そんな店でも界隈の外こもり日本人には重宝され、財布は軽いがヒマだけは売るほどあるオッサンの群れが蛾のように引き寄せられ、彼らの孤独を癒す「たまり場」的な役目も果たしていた。

 90年代末。そんな「まったり系」日本人の吹き溜まりだった中華街の安宿が軒並み閉鎖されると、そこにいた男たちの半数が隣国カンボジアへ逃れ、首都プノンペンに新たな「たまり場」が誕生する。

 未だ内戦の余韻が残り、治安も悪く荒廃していた暗黒時代のプノンペンに、彗星の如く出現した「京都」というお店。

 店名の由来でもある京都出身のマスター、Dさんは、どこか頼りない、無口で小柄な愛想ゼロのオッサンで、調理経験もほぼゼロ。ついこの前までそのへんにいるただのバックパッカーだった。

 元バックパッカーのオーナーだけに値段は安く、料理は一品200円から高くても300円。それでいてメニューは多く、刺身からエビフライ、カレーにレバニラまで和洋中、ほぼ網羅。難点といえば、大体の料理が腐っていたことくらいで、まあ、ほんとに致命的なのだが、文字通り何もかも腐っていた。

 90年代のプノンペンは1日3~4時間の停電が日常だった。

 電気が来なけりゃ冷蔵庫は停まる。それでもクーラーボックスに氷をぶちこんでみたり、その気があれば幾らでもやりようはあると思うが、我らがおっちょこちょいのマスターは大切な食材を片っ端から腐らせ、あまつさえそれを平然と調理して食中毒を量産していた。嘘のようだが本当の話だ。