ボロボロの三菱「コルト1000」を北海道から救出! レストアして路上復帰したので「いつか空知三菱のディーラーを訪ねてみたいです」

AI要約

三菱自動車を象徴するクルマとして長らく親しまれてきたのが「コルト」です。

「このコルト1000が、というよりもヒストリックカー全般が好きです。」

『その後は傷んだボディから駆動系、足まわりなどをひと通りレストア。』

ボロボロの三菱「コルト1000」を北海道から救出! レストアして路上復帰したので「いつか空知三菱のディーラーを訪ねてみたいです」

三菱自動車を象徴するクルマとして長らく親しまれてきたのが「コルト」です。国民車構想によって三菱「500」が開発されて以来、フルモデルチェンジで排気量がアップして、名称も「コルト600」となって今でもお馴染みの車名が冠されたわけです。その後継車の「コルト1000」を所有しているのが柚木貞雄さん。愛車を入手した経緯などを伺ってみました。

2024年5月3日に新潟県糸魚川市で開催された「第19回クラシックカーミーティング」の会場で、選りすぐりの参加車両の中で見つけたのが三菱「コルト1000」である。現在は「デリカD:5」や「アウトランダー」など、ワイルド系ミニバンやSUVでお馴染みの三菱自動車だが、本格的に自社設計の乗用車の生産を始めたのは1960年のこと。当時の通産省の国民車構想に呼応して開発された三菱「500」がそれで、これはその名の通り500ccエンジンをリアに搭載した2ドアセダンだった。1962年にはフルモデルチェンジを行い、エンジンは600ccに。このモデルから三菱「コルト600」という車名となり、以来「コルト」は長らく三菱製乗用車を象徴する名称として親しまれ続けてきた。

会場に展示されていたのは三菱コルト1000。三菱500/コルト600とは異なり、駆動方式もそれまでのリアエンジンからコンベンショナルなFRとなった。三菱としては初の4ドアセダンで、その登場は1963年のこと。

「このコルト1000が、というよりもヒストリックカー全般が好きです。昔からあちこちのヒストリックカー・イベントに見学に行っていたのですが、そのうち見ているだけでは飽き足らなくなり、自分もエントラントとして参加したい、と。そんな思いが高じて今から20年前にベレGを手に入れたのが、ヒストリックカー趣味の始まりでした」

と語るのは、オーナーの柚木貞雄さん。

「このコルト1000は1966年式です。もともとは“札5”のシングル・ナンバーがついていたのですが、1999年に廃車となって、それからずっと北海道で放置されていた個体です」

ボディ後部に貼られた「空知三菱自動車」のディーラー・ステッカーも、その来歴を物語る。

「その存在を知った2年前、現地に飛んでボロボロの状態だったものを譲ってもらいました」

その後は傷んだボディから駆動系、足まわりなどをひと通りレストア。先般、晴れて地元の多摩ナンバーを取得し、路上復帰を果たしたというわけだ。

「いつか、このクルマで北海道に行って空知三菱のディーラーを訪ねてみたいですね」

と笑顔で語る柚木さんであった。