走行中の車内は灼熱! うるさすぎて会話するのにレシーバー! ジャガーXJR-15は公道を走れるようにしただけのレーシングカーだった

AI要約

1980年代の終盤から1990年代初頭にかけて開発されたジャガーのスーパースポーツモデル、XJR-15とXJ220は特別な存在である。

XJR-15は1988年にル・マン24時間レースで勝利し、WSPCで成功を収めたXJR-9をベースとして開発された。

XJR-15プロジェクトはTWRによって進められ、トム・ウォーキンショーのアイディアから生まれたことが特徴的である。

走行中の車内は灼熱! うるさすぎて会話するのにレシーバー! ジャガーXJR-15は公道を走れるようにしただけのレーシングカーだった

 ジャガーのブランドを掲げたスーパースポーツのなかでも特別な存在といえるXJR-15とXJ220は、いずれも1980年代の中盤から終盤に前後してその開発プログラムが立ち上がり、1990年代の初頭に少量生産が行われたモデルだ。

 今回は1990年から1992年にかけて50台の限定生産が計画され、実際には53台が販売された、より硬派なXJR-15にスポットをあて、そのスーパースポーツとしての魅力を探ってみることにする。

 XJR-15がより硬派なスーパースポーツとして多くのファンから認識されているのは、そのベースがにあることが第一の理由だろう。1988年のル・マン24時間レースを制したことを筆頭に、1989年にはWSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)のメイクスタイトルを獲得する原動力となったXJR-9。

 実際にその開発を担当していたのはTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)で、それをベースとしたオンロードモデルを限定生産しようというプロジェクトは1988年にスタート。1990年には早くもそのランニングプロトタイプが完成した。このプロジェクトが驚くべき速さで進んだ理由は、すでに触れたXJR-9というベース車が存在したからにほかならない。

 そして、トム・ウォーキンショー自身、1988年のバーミンガムショーにおいて、ジャガーが自ら発表したXJ220のプロトタイプに刺激され、そこからXJR-9をベースとするロードカーというアイディア(当初それはR-9Rと呼ばれていた)を得たこともまた事実であった。

 当時、グループCカーの世界では圧倒的な性能を誇っていたXJR-9。それをベースにしたオンロードモデルを販売すれば、それは確実に人気モデルとなるだろう。このころは世界の経済状況も好景気の最中にあり、スーパースポーツはそのなかでもお金を消費するには何よりの投資対象だった。