メルセデスがこだわる「知覚安全性」とは? 周囲のクルマや歩行者にアピールすることが安全につながるベンツ神話を紹介します

AI要約

メルセデス・ベンツの事故を起こさないための知覚安全性について解説。ワイパーの誕生やフロントガラスの重要性、皇太子の貢献などを紹介。

1907年の「プリンス・ハインリッヒ・トライアル」の開催や、皇太子が考案した手動式ワイパーの誕生について詳細に解説。

ハインリッヒ皇太子が考案したワイパーの特許申請や製造、価格についての情報をまとめて紹介。

メルセデスがこだわる「知覚安全性」とは? 周囲のクルマや歩行者にアピールすることが安全につながるベンツ神話を紹介します

メルセデス・ベンツの事故を起こさないための知覚安全性(十分な視界と被視認性)について、ご紹介します。ワイパーの誕生からボディカラーの違いによる視認性など、さまざまな技術を解説。徹底的にこだわることで高い安全性を確保しているのです。

1886年に世界で最初のガソリンエンジン付き自動車が、ゴットリーブ・ダイムラー(4輪車)とカール・ベンツ(3輪車)によって発明されたことは、すでに周知の通り。しかし、当時の自動車のはしり、つまり、「馬なし馬車」には風防のフロントガラスや、雨が降った場合に視界を確保するワイパーなどはなく、風雨の中を運転することが、非常に困難であったと思われる。事実、ドライバーは風雨や塵よけのゴーグルを使用し、レインコートを着用するなどして運転していた。

しかし、自動車の用途の広がりとともに風雨よけの機能や耐久性が求められるようになり、20世紀になるころには、フロントガラス付きの自動車が登場しはじめている。同時に、新たな問題として生まれたのが、悪天候においてクリアなフロントガラス面をいかに確保するかである。つまり、風雨の日にどうやって安全な視界を得るか。

この安全な視界を得る問題に具体的な解決策を示したのが、当時のプロイセン王国のハインリッヒ皇太子であった。彼は自動車や船舶に興味を持ち、とくに「自動車狂」とまでいわれた人物。マンハイムにあるベンツ社のベンツを駆って、自ら多くのレースにも出場していた。そして、この皇太子の薦めもあって彼の名前を冠したレース「プリンス・ハインリッヒ・トライアル」が1907年に開催され、優勝者にはその大トロフィーと賞金が授与されていたほどであった。当時は、これほどの大規模なレースはなく、むしろフランスGPを凌ぐ人気さえあり、相次いでエントリーの申し込みがあったといわれている。

さて、ハインリッヒ皇太子が考案したのは、フロントガラス面を垂直の棒に沿って、手動でブレードを上下に移動させる水平式のワイパー、名付けて「スクリーンクリーナー」であった。つまり、彼が考案したワイパーは電気モーターではなく手動式であったため、ガラス全面ではなく、運転席前面だけを上下に拭き上げるコンパクトで軽量なものであった。特許を申請した1908年には、早くも製造業者H・モドホーストに、「ハインリッヒ」という名称での製作・販売権を依頼。当時、この安全装備の価格は、1ユニットあたり50ドイツマルクだったといわれている。