爆撃機の「お尻にエンジンもう1発!」予算争いの対抗策で生まれた“ハイブリッド爆撃機”とは?「これなら核積める」

AI要約

アメリカ海軍は第2次世界大戦後、核兵器時代を迎え、空母からの核投射能力を求めて大型艦上攻撃機「サヴェージ」を開発した。

海軍は当初P-2「ネプチューン」を改造して原子爆弾搭載可能な爆撃機としたが、空母運用に難があり、新しい艦上攻撃機を開発することとなった。

結果として、サヴェージは2種類のエンジン搭載で開発され、ジェット・エンジンは高速飛行時のみ使用される仕組みとなっていた。

爆撃機の「お尻にエンジンもう1発!」予算争いの対抗策で生まれた“ハイブリッド爆撃機”とは?「これなら核積める」

 アメリカ海軍は第2次世界大戦が終結すると、従来のレシプロ・エンジンに加えてジェット・エンジンも搭載する大型艦上攻撃機「サヴェージ」を開発して運用しました。

 ただ、艦上攻撃機であれば、A-1「スカイレーダー」を始めとして、よりコンパクトで空母での運用に適した機体も数多くあったはず。そのような中で、一見して大柄でエンジンも3基搭載する「サヴェージ」が採用されたのには、この時代ならではのいくつかの理由がありました。

 第2次世界大戦末期、アメリカは世界初の原子爆弾の開発に成功し、それを日本の広島と長崎に相次いで投下しました。これは人類史上、初の核兵器の実戦使用であり、こうして世界は核兵器時代の幕開けを迎えたといえます。そして大戦が終結すると、ただちに米ソ対立に起因する東西冷戦が始まりました。

 このような時代背景のなか、大戦終結直後、アメリカにおいて核兵器の運用能力をもっていたのはアメリカ空軍(1947年にアメリカ陸軍航空軍を改組・発足)のみでした。広島と長崎に原子爆弾を投下するのに用いられた戦略爆撃機B-29を始めとして、エンジンを複数備えた重爆撃機を各種保有しており、その点で空軍はアメリカの国家戦略の一端を担う重要軍種として予算も優先的に割り振られていました。

 ただ、国防予算は大戦終結直後なので限りがあり、空軍を手厚くしようとすると、他の軍種を削る必要がありました。その結果、割を食ったのがアメリカ海軍です。ただ、海軍としては、予算削減をそのまま飲むわけにはいきません。そこで考えたのが、空母からの核投射でした。

 当初、アメリカ海軍が行ったのは、P-2「ネプチューン」対潜哨戒機を改造し、原子爆弾を搭載可能な艦上爆撃機を生み出す案でした。ただ、同機は本来、陸上機であり、空母に載せるには大きすぎました。

 ゆえに、発艦こそできるものの着艦は無理であり、目標を爆撃しようと空母から飛び立った後は、味方の陸上基地へ向かうか、もしくは空母近傍まで戻ってきたら不時着水する「片道出撃」という運用方法を採るしかありませんでした。しかしこれは、艦上機の運用方法としては完全な「邪道」です。

 そのため、アメリカ海軍は、P-2「ネプチューン」の片道出撃を暫定的なものと位置づけ、その間に本命といえる原爆を搭載可能な本格的な艦上攻撃機の開発を急ピッチで進めます。もともと海軍は、終戦直前の1945年8月に1万ポンド(約4.54t)の爆弾搭載能力を有する新たな艦上攻撃機の開発をノースアメリカン社に発注していたことから、同月後半に同機を原爆搭載可能なように改めることを決めました。

 大重量の原爆を搭載するため、エンジンはヴォートF4U「コルセア」やグラマンF6F「ヘルキャット」といった傑作戦闘機にも搭載され、かつ運用実績の積み重ねにより信頼性も高かったプラット・アンド・ホイットニーR-2800ダブルワスプ空冷星型エンジンのターボチャージャー付き2基をメインに、胴体後部にロッキードT-33「シューティングスター」ジェット練習機などに用いられたアリソン J33ジェット・エンジンを1基搭載することで対応可能なようにしています。

 なぜ、このように異なる2種類のエンジンを搭載したかというと、当時のジェット・エンジンはレスポンスが遅く、発艦時や戦場離脱時など高速飛行の際に使用するものとされ、巡航時にはストップさせることが前提とされたからです。そのため、胴体上部に設けられたJ33用空気取入口も、抵抗減少のためエンジン停止時には閉じる構造となっていました。