一度は行ってみたい「日本一古いおでん屋」!? 創業180周年を迎える「たこ梅」が常に愛され続けたワケとは

AI要約

日本の最古のおでん屋である「たこ梅」の歴史と伝統について紹介されています。

創業から180年以上の歴史を持ち、文化人や多くの人々に愛されてきた「たこ梅」の特徴や味について述べられています。

5代目店主のコメントから、たこ梅が守り続ける伝統や店の世界観を表現することの重要性が説かれています。

一度は行ってみたい「日本一古いおでん屋」!? 創業180周年を迎える「たこ梅」が常に愛され続けたワケとは

 日本では伝統的に、古くから伝わる食事や料理が現代でもなお受け継がれています。そのうちの一つが「おでん」。

 日本独自の食事であるおでんですが、その歴史は古く、日本人には時代を超えて愛されてきました。

 そんななか、大阪には江戸時代から約180年続く、日本最古のおでん屋が存在します。

 その店の名は「たこ梅」。たこ梅の誕生は弘化元年(1844年)。初代店主の岡田梅次郎氏が「たこ甘露煮」と「関東煮(おでん)」の店として創業しました。

 店名の由来は、当時「たこ」と呼ばれるカウンター形式の店であったことと、創業者の名前から梅をとって「たこ梅」という名前が誕生しました。

 たこ梅の名物のひとつは「さえずり」です。さえずりとは鯨の舌のことで、刺身として食べるほか、おでんや鍋とも相性抜群なのですが、実は、このさえずりを初めておでんの種にしたのが、初代の梅次郎氏なのです。

 梅次郎氏から始まり代々引き継がれながら、昭和25年に北店、昭和28年に分店が誕生し、たこ梅の味は大阪の地に強く根付いていきました。

 文化人の常連も多く、織田作之助や開高健、池波正太郎、吉田健一など有名作家たちがよく店に訪れていて、作品のなかにも「たこ梅」が登場しているそうです。

 しかし、多くの人たちに愛されていた一方、太平洋戦争による営業休止や、4代目店主と女将の逝去によって平成14年に一度閉店してしまったりと、歴史のなかで紆余曲折を経ています。

 それでも、歴代店主をはじめ様々な人たちの力によって店の経営が続けられ、ついに2024年で180周年を迎えます。

 そんな「たこ梅」が昔から変わらず守っているのが、「味」です。

 創業からの名物である「たこ甘露煮」と「関東煮(かんとだき/おでん)は、昔からのやり方や手順を守って仕込みがされているそうです。

 関東煮(おでん)の場合、鰹節でダシを引いて、そこに、さえずりを入れることで、独特の味わいが引き出されています。

 「さえずり」とは、たこ梅の商標です。さえずりはひげ鯨の舌を何段もの工程をかけて仕込む必要があります。通常の店ではすでに加工したものを購入しており、「たこ梅」もかつてはそうしていました。

 しかし、20年ほど前から、取り入れたさえずりの品質が悪くなったため、直接生の鯨の舌を仕入れて、1週間から10日ほどかけて自家製で作るようになったそうです。

 また、お酒は お酒は昔のまま錫のタンポで湯煎で燗をつけ、錫の上燗コップで出すことにこだわっています。

 温めた日本酒のことを燗と呼び、温度によって呼び方が変わるのですが、上燗は約45度まで温められているものを指します。

 本来、「たこ梅」は上燗屋として誕生しました。お酒を美味しく提供するために、錫のたんぽで湯煎してじっくりと味わいを引き出しています。

 そして、飲むためのコップも錫でできていて、中空になっているためお酒が冷めにくいようになっています。錫のたんぽと上燗のコップはなんと全て職人の手作りです。

 また、お客さんからの注文があると、木でできた勘定札を置いていくのも、昔から変わらないスタイルとのこと。この勘定札も自家製で作られています。

 このような昔から変わらぬこだわりについて、5代目店主である岡田哲生氏は、次のように話しました。

 「味もそうですし、お酒を燗つけするとか、勘定に木札を使うのも、たこ梅という店の『設え(しつらえ)』として捉えていて、これを守ることで、お店の世界観を表現することになります。

 これがたこ梅らしさ、たこ梅の雰囲気を生み出すひとつの要因となっていると思っています」