不動産投資の目的を「節税」だけにするべきではない理由【不動産投資のプロが解説】

AI要約

投資用不動産を所有する理由や意味は人それぞれであり、節税以外の本質的な価値を見失うリスクがある。

不動産投資による節税効果は、社会に貢献した結果として手に入るリターンであり、社会貢献が節税に繋がるべきだという理念を持つ。

中長期的視野で不動産投資を考え、転売や短期利益よりも広く社会に貢献することを重視する。

不動産投資の目的を「節税」だけにするべきではない理由【不動産投資のプロが解説】

投資用不動産を所有する理由は人それぞれですし、人生における不動産投資の意味も十人十色でしょう。ただ、不動産投資=節税という目的をあまりに前面に出すと、本来の不動産投資の意義や目的を見失うリスクが高まるといいます。本記事では『新富裕層のための本質的不動産投資』(明日香出版社)より一部を抜粋・再編集し、著者の杉山浩一氏が語る「不動産投資をする際に重視すべき〈本質〉」をご紹介します。

既に投資用の不動産を所有している方、今から不動産投資を検討される方、または過去に投資物件を購入した経験のある方など、それぞれに異なる関心をお持ちの方がいらっしゃるものと拝察します。そうした関心の違いを承知のうえで、質問をさせていただきます。

皆さまの人生における、投資用不動産の位置づけとはどのようなものでしょうか? 物件を所有する理由は、人それぞれですし、人生における不動産投資の意味も十人十色でしょう。それでも1つだけ共通して言えることがあるとすれば、それは「不動産というものは所有者の生き方を表したものである」ということだと考えています。

私たちは、経済的には資本主義の社会に生きています。資本主義の本質的なロジックは「社会に貢献した人が収益を上げられる」というものです。商品やサービスの提供とは、社会に対する価値提供に他なりません。売り上げや利益の額は、そうした価値提供の質と量に比例するという原則を私はとても大切にしています。

とはいえ、資本主義には負の側面も存在します。細かい理屈はさておき、近い歴史の中で資本主義の負の側面が表に出た事例と言えば、バブル経済とその崩壊を挙げることができるでしょう。

私たちはバブル期に建てられたクオリティの高い建物をリノベーションし、入居者の方に安心・安全・快適な暮らしを提供することを事業の核に据えています。不動産を通じて、関わる人々が幸せになるお手伝いをさせていただく。それはまさに「社会貢献につながる事業」だと自負しています。

とはいえ、今の世の中、「不動産投資」という言葉には「節税対策」というキーワードがセット商品のように付きまといます。もちろん、不動産投資に節税効果があることは否定しません。後段で詳しくお伝えしますが、相続税評価が時価の8掛けでなされるという現状から、不動産購入と借り入れの組み合わせいかんで、一定の節税効果を望むことができます。

だとしても、節税があまりに前面に出過ぎると、不動産投資が持つ本来の意義や目的を見失うリスクが高まります。目先のお金だけに意識を向けてしまったせいで、真に良質な物件からはかけ離れてしまったというケースを少なからず目にしてきました。

あるいは、子や孫の代に、不動産を通して伝えるメッセージが「私はこれだけの節税に成功した。素晴らしいだろう!」といった自慢話に終始するようでは、せっかく皆さまが築き上げてきたものの価値が矮小化されてしまうことにもなりかねません。

何より、税の仕組みというものは時代と共に変わる運命にあります。ある時代に「結果として節税効果があった」仕組みが、いつの時代も変わることなく、同じ効果を出し続けるとは限りません。

だからこそ節税だけを不動産投資の目的に据えるのではなく、より本質的な価値を見いだしていくべきだと思うのです。その価値こそが、社会に対する価値の提供に他なりません。

やや理想論に聞こえるかもしれませんが、不動産投資による節税効果とは、不動産を通じて多くの人々に幸せを届けるという社会貢献の結果として、手にできるリターンの1つである。端的に言えば、「世の中の役に立つことをしたから、税金が安くなる」。そんな因果関係が成り立つべきだと思うわけです。

さらに、「不動産投資を中長期で考える」という点についても、私たちの特徴としてあらかじめ記載しておきたいと思います。

私たちは、お客様に対して、短いスパンで物件を転売し、利ざや(転売益)を稼ぐということをお勧めしていません。そもそも、短期間で利益を出すのはその道のプロにとっても簡単なことではありません。ましてや個人ともなれば、非常に困難であると言うべきです。

これらの点を総合して、新富裕層の方が不動産のオーナーになることの意義の本質は、節税目的でも、転売益を狙うことでもなく、広く社会に貢献することにあるのだと、心から信じてやまないわけです。