ライシは歴代イラン大統領のなかで「最も好戦的で、最も不人気な人物」だった

AI要約

イランの大統領であるライシ氏と外相が搭乗したヘリコプターが墜落し、8人が死亡した。

ライシ氏はハメネイ師の後継者として期待されていたが、政治的には好戦的で不人気だった。

彼の死を悲しむ人々と批判する人々がおり、イラン社会は二極化している。

ライシは歴代イラン大統領のなかで「最も好戦的で、最も不人気な人物」だった

5月19日、イラン北西部の東アゼルバイジャン州でヘリコプターが墜落し、イランのエブラヒム・ライシ大統領とホセイン・アミール・アブドラヒアン外相など、搭乗していた8人全員が死亡した。

63歳だったライシ大統領は、イランの最高指導者であるハメネイ師の後継者とされていた。カタールメディア「アルジャジーラ」によれば、彼は15歳から神学校に通いはじめ、20代前半には検事長を務めている。

1988年、ライシは密かに政治犯の処刑を取り仕切る「死の委員会」のメンバーとなった。翌1989年、イランの初代最高指導者アヤトラ・ホメイニの死後、彼は首都テヘランの検察官に任命される。

ホメイニの後任となったアリー・ハメネイ師の下で、ライシは出世を続けた。そして2017年に大統領選に出馬するも落選し、続いて2021年、得票率62%を獲得して当選する。彼は神権的な支配階級層だけでなく、政府、軍、立法のあらゆる部門と良好な関係を維持することに成功していた。

政治的な立場を上手に築いていたライシだが、国民からの評価はあまり良いとは言えなかったようだ。

「ライシはおそらくイランの大統領のなかで最も好戦的であり、また最も不人気でもあった」。ウィルソン・センターの研究員であり、歴代のイラン大統領6人を取材してきたロビン・ライトは、米紙「フォーリン・ポリシー」に対しそう語っている。

ライシが政権を握った3年でイラン経済は急降下し、国民の不満を招いた。そして何よりも、彼は「1988年の大規模な弾圧で記憶されるだろう」とライトは指摘している。約5000人の反体制派を死刑台に送った「死の委員会」の4人のうちの1人だったという過去は、国民の記憶に深く刻まれているのだ。

ライシの死が報じられると、イラン国内では花火や歓声が上がったと、英紙「ガーディアン」は報じた。

また、同紙は現地の市民らにインタビューしている。ヒジャブの被りかたが不適切であるとして逮捕された女性、マフサ・アミニが勾留中に死亡したことを受け、2022年に大規模な抗議活動が起きた。このデモで500人が死亡し、2万人が逮捕されている。

デモに参加し、治安部隊に殺された十代の少年の家族は、次のように答えた。

「ライシの魂は決して安らかに眠ることはないだろう。私の兄弟と祖国の子供たちを殺したからだ。彼は大勢の子供たちの殺害を命じた殺人者だった。弟の魂は、彼のような人が裁かれてこそ安らかに眠る」

一方、ライシの死を悲しむ人たちもいる。カーネギー国際平和基金上級研究員のカリム・サジャドプールは「フォーリン・ポリシー」に対し、「イランは二極化した社会だ。国民のなかには、彼を深く悼んでいる人々もいる」と語った。