空海の入唐が日本にもたらしたもの

AI要約

空海は唐から日本に真言宗をもたらし、中国文化や仏教の古典を持ち帰ることで日本文化に影響を与えた。

静慈圓氏が空海ロードをたどり、空海が日本に持ち帰ったものについて調査を行った。

空海はお茶文化の導入に貢献し、うどんや豆腐の持ち帰りも伝えられるが、確かな記録はない。

空海の入唐が日本にもたらしたもの

【CNS】1200年以上前、平安時代初期の僧、空海(くうかい)は仏教を学ぶために唐に渡り、帰国後に真言宗を開いた。空海は仏教だけでなく、唐の文化を日本に持ち帰り、中国と日本の友好の架け橋にもなっている。空海の入唐が日本にもたらしたものとは何か。高野山真言宗の最高僧位、法印の経験者である前官の静慈圓(しずかじえん)氏がインタビューに応じた。

 空海は31歳の時に唐に渡り、33歳で日本に帰国したとされる。生まれは、讃岐国(現在の香川県)であり、儒教・道教・仏教を深く学んだ。仏教の究極の教えとされる経典「大日経」の師を求め、唐の都・長安を目指したとされる。

 空海は多くの仏教の古典と一緒に、詩や書など中国文化を持ち帰り、日本文化に大きな影響を与えた。奈良時代の仏教は「華厳経」や「法華経」などの経典に基づいていたが、空海はこれらを新たな仏教としてまとめ上げたといわれる。

 空海が入唐してから1150年の節目となる1984年。静慈圓氏は空海入唐の道をたどる旅を始めた。当時の中曽根康弘(Yasuhiro Nakasone)首相を通じ、中国側に協力を依頼し、その後、数十年をかけて約2400キロとされる空海ロードを何度もたどってきた。

 空海が持ち帰ったものとしてはほかにも、うどんや豆腐があるといわれる。ただし、空海自身はそれを書き記していないことから定かではない。一方、お茶については言及しており、空海がお茶文化の導入に貢献したことがうかがえる。(c)CNS/JCM/AFPBB News

※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。