過酷な減量…栄養失調で発疹 K-POP元練習生が振り返る「幸せな記憶」と「つらいこと」

AI要約

K-POPアイドルを目指し、韓国の芸能事務所に入り、アイドル練習生として活動した金良垠(キムヤンウン)さん(31)のストーリー。

苦労や幸せな思い出、厳しい練習生活を経て、音楽の道を諦めた彼が市職員として活躍する姿。

アイドル業界の変化や若者へのメッセージも含まれている。

過酷な減量…栄養失調で発疹 K-POP元練習生が振り返る「幸せな記憶」と「つらいこと」

 K-POPアイドルになる夢をかなえようと、二十歳で韓国・ソウルの芸能事務所に入った。デビュー前の事務所の練習生として、歌とダンス漬けの日々を過ごした約3年間。「幸せな記憶でもあるし、つらいこともあった」。今は故郷の釜山市職員として働く金良垠(キムヤンウン)さん(31)が、あの当時を振り返った。

 子どもの頃から歌うのが好きだった。特にR&B(リズム・アンド・ブルース)系が得意で、遊戯会や学校行事でマイクを握れば賞を度々もらった。でも、将来を考えて母親はアイドルを目指すことには反対。本格的に音楽を学ぶ機会はしばらくなかった。

 高校生の頃、学校前でソウルの大手事務所(現在のHYBE(ハイブ))による公開オーディションのチラシを偶然受け取った。釜山のような地方で「こんな機会はめったにない」と両親に内緒で参加。合格には至らなかったが、地元の声楽塾(学院)の先生と出会い、先生は学院に通うよう両親を説得してくれた。ほぼ毎日2~3時間のレッスンに通い出した。

 高校卒業後はソウルの芸術大学に進み、声楽を学んだ。後輩の誘いで受けたメインボーカルを選抜するオーディションに合格し、二十歳の頃に芸能事務所に入った。アイドル練習生としての生活が始まった。

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 午前は大学に通い、午後は8時間みっちり歌とダンスの練習をこなした。強みとするパワフルな声量と高音に磨きをかけようと、歌手のライブ映像を繰り返し見ながら音の出し方を研究。仲間の練習生は20人ほど。「歌もダンスもやりたかったこと」(金さん)だから、仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し、歌って踊った時間は幸せな記憶として残っている。

 一方で厳しさもあった。事務所から求められる減量目標は過酷で、栄養失調で体中に発疹が出た。皮膚科に行くと、軟こうではなくもちろん食事を勧められたが、「食べれば太る」という観念にさいなまれた。

 食べては吐いてを繰り返した。体重が30キロ台に落ちたり、一気に10キロほど太ったりと体に負担がかかった。無理に吐きすぎて、喉がおかしくなったこともあった。「ダイエットよりも、喉が壊れていくことのほうがつらかった」

 不調に苦しむ中で、一緒に練習してきた仲間のデビューが決まった。デビュー曲を練習する仲間たちの音楽が近くから届き、自分は取り残されていると感じるようになった。そんな時間が苦しく、「自分も」と焦って、休ませる必要がある喉を酷使した。

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 2015年ごろ、事務所を出た。別事務所のオーディションを受け、何社か誘われもしたが、喉の調子は戻らなかった。結局、音楽の道は諦めることにした。

 芸能関係以外の専門知識は学んでこなかったが、難関の公務員試験に無事に合格し、現在は釜山市の予算担当の業務に就く。

 そして、市や区主催の行事でステージに立っている。少しずつ取り戻した歌声が口コミで徐々に広まったからだ。「評価も気にしなくてよくなり、今は確かに楽に歌えています」

 この間、韓国のアイドル業界も変化した。金さんがアイドルを目指した頃に比べ、憧れる子どもたちの数は激増。海外出身者も海を越えて韓国でのデビューを狙いに来る。

 そんな激しい競争社会に足を踏み入れようとする若者へ、金さんがメッセージをくれた。

 「死に物狂いで頑張って、成功できるならそれでいい。できなくても他の道は確かにある。だから大丈夫。私は目標を追い過ぎて、自分にとって大切なことが見えなくなったことがある。大事なことは、自分を見失わないこと」

 (釜山・平山成美)