韓国の浮浪者収容施設、生きているうちは強制労働、死んだら解剖実習

AI要約

朝鮮戦争後に始まった民間人虐殺から浮浪者の拉致と監禁の悪夢が続いた時代を探る。

浮浪者収容所での人権侵害が明らかになり、死体が無断で解剖実習用に提供されていた事実が初めて記録から確認される。

浮浪者収容施設の死者が急増し、解剖用遺体提供数が異常に多かったとして、人権侵害問題が浮上。自己決定権を侵害する遺体処理慣行についても明らかに。

韓国の浮浪者収容施設、生きているうちは強制労働、死んだら解剖実習

 民間人虐殺が全国で吹き荒れた朝鮮戦争が停戦すると、今度は拉致と監禁の時代がはじまった。施設収容を中心とした政府の浮浪者政策は施設側の利害と結び付き、浮浪者を標的にするにとどまらなかった。酒に酔って乱暴を働くとして、住居が定まっておらず徘徊しているとして、身なりがみすぼらしいからとして、さらには顔が青白いからとして、警察と取り締まり班員に捕まり、獣のように「飼育」された。憲法に明示された「人間としての尊厳と価値」、「身体の自由」は無視された。これは内務部訓令第410号、物乞い行為者保護対策、保健社会部訓令第523号によって裏付けられたことで、形式的民主化が成し遂げられた1987年以降も続いた。1987年に暴露された釜山(プサン)最大の浮浪者収容施設の兄弟福祉院がすべてではなかった。ソウル市立更生院、大邱市立希望院、忠清南道のチョンソン院(大田(テジョン)のソンジ院、燕岐郡(ヨンギグン)のヤンジ院)、京畿道のソンヘ院の5施設(4法人)による大規模な人権侵害に対する真実和解委の真実究明を契機として、この問題を多角的に探った。

 1980年代、大田の浮浪者収容施設が死亡した収容者の遺体を無縁仏として分類し、大学の医学部の解剖実習用の死体として無断で提供していたことが、記録から明らかになった。浮浪者施設の死者の遺体が大学病院に解剖実習用として売られたとする主張が最初に登場したのは、1987年に兄弟福祉院事件が暴露された時のことで、被害者の証言を根拠としていた。だが、記録が発見されたのは今回が初めてだ。

 この事実は、真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委)が今月6日の第86回全体委で真実究明(被害認定)を決議した「ソウル市立更生院など成人浮浪者収容施設の人権侵害事件」の調査過程で確認された。問題の収容施設はソウル市立更生院、大邱市立希望院、忠清南道のチョンソン院(大田(テジョン)のソンジ院、燕岐郡(ヨンギグン)のヤンジ院)、京畿道のソンヘ院の5施設(4法人)で、このうち解剖用の遺体を提供していたとの記録が発見されたのは、チョンソン院傘下の大田のソンジ院だ。

 真実和解委が忠南大学医学部から提出を受けた「チョンソン院事件死亡者解剖実習用交付状況」によると、社会福祉法人チョンソン院傘下のソンジ院が、浮浪者収容業務を開始した1982年から1986年にかけて忠南大学医学部に引き渡した解剖用の遺体は113体。この時期に忠南大学が各所から引き渡しを受けた解剖用遺体は117体で、ソンジ院からの遺体は97%に達する。だが、兄弟福祉院事件が明るみに出たことで浮浪者収容施設での人権侵害が問題化した1987年からは、遺体交付件数が急激に減少している。

 生きているうちは警察や公務員による取り締まりで浮浪者収容所に強制収容され、過酷行為、独房への収容、強制労役などの人間として耐え難い人権侵害にあった人々が、死んでからも本人の意思とは関係なしに解剖実習用に引き渡されるという人権侵害を被っていたわけだ。ただし、この資料にはやり取りされた金銭の内訳がないため、遺体が単なる交付にとどまらず「売買」されていたのかは確認できていない。

 今回、真実和解委が調査を実施した浮浪者収容施設では、死亡率が著しく高かった。ソウル市立更生院の場合、1966年の900人あまり(推定)の収容者のうち180人が死亡している。二日に1人の割合だ。翌年の1967年には、1月1日から5月12日にかけて、一日平均で2人の死者が出ている。死者を解剖実習用に引き渡していたソンジ院の場合、1986年の600人の収容者のうち46人が死亡している。死亡率は7.7%だ。真実和解委は「1986年の20歳以上の一般国民の死亡率が0.58%であることを考えると、10倍を超える数値」だと述べた。

 真実和解委は、「各死亡者についての死体交付申請書や死体引き取り証などを検討した結果、大半が死亡当日またはその翌日に死体交付申請書が医学部から大田市に提出され、直ちに死体が交付されていた」とし、「死体引き取り証に『上記の死体は(死体解剖)保存法第4条、第11条に則って本学が引き取った。同法第3条の規定による保存期間(30日間)を6カ月に延長して保管する』と記載されているのをみると、引き取りから6カ月以内に解剖実習に使用し、その後、年末にまとめて埋葬処理していたと判断される」と述べた。

 死体解剖保存法(1962年制定)11条1項は、「区長、市長または郡守は、引き取り人のいない死体について、医学部長から医学の教育または研究のための死体の交付要請がある時は、その死亡を確認した後、これを交付することができる」と規定している。ところが、遺体交付資料を見ると、「死亡→交付要請→実際の交付」がわずか一日二日で実現している。

 真実和解委は、「ソンジ院は、収容者の中から死亡者が発生した際に、彼らを迅速に『無縁仏推定死体』に分類し、医学部に引き渡すシステムを構築していた」とし、「ソンジ院は死者のほとんどを無縁仏として分類し、医学部に迅速に移送していたことから、意図的に縁者につなげる努力を放棄していたと判断される」と述べた。

 施設収容者の遺体を無縁仏として一括分類して解剖実習用として交付するというこのような慣行は、死者本人の遺体処分に対する自己決定権を侵害したという点でも問題だ、というのが真実和解委の説明だ。憲法裁判所は2015年11月26日、死体解剖保存法を引き継いだ「死体解剖及び保存に関する法律」12条1項(引き取り人のいない死体の提供等)について、本人の遺体が解剖用として提供されることに反対するとの意思表示を生前に明示的に行える手続を設けていないため、本人の意思とは無関係に解剖用として提供されることが可能となっており、最小侵害原則と自己決定権を侵害している、と判断している。

コ・ギョンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )