「姉妹じゃなくて夫婦です」…韓国でレズビアンとして生きるということ

AI要約

中古取引プラットフォームで出会った上品な中年夫婦との交流を通じて、自身がレズビアンであることに対する周囲の反応に戸惑いを感じるエピソードを描いている。

その夫婦とのやり取りを通じて、自身が日常で直面する性的マイノリティーであることに対する心情や周囲の受け止め方について考えさせられる。

最終的には、多様な人間関係や人生を通じて、性的指向に関わらずお互いを尊重し、理解しあうことの大切さを表現している。

「姉妹じゃなくて夫婦です」…韓国でレズビアンとして生きるということ

 中古取引プラットフォームで私たちが出品した物を買いに来た中年の夫婦は、実に上品な方々だった。最初のあいさつからして礼儀が見え、一線を越えることは問われなかった。お二人の表情からは温厚さが感じられ、女性は落ち着いていて、男性の女性に対する細かい気づかいはとても印象的だった。「教養のある人々」というタイトルの絵に出てきそうだった。中古取引をした際に来るのがこのような方ばかりだったなら、隣人がこのような方ばかりだったなら、もう一度毎日を微笑みながら送れるのではないかと考えた。

 トラックの運転手さんもすぐにいらっしゃった。私たち夫婦は重い物を運ぶのを手伝うため、物を一つずつ持った。だが、女性は男たちに任せろと言って手を振った。「男たちにやらせておけ」という言葉は私たち夫婦にとって、ある記憶を呼び覚ますものだ。私の友人夫婦とカフェに行った時、呼び出しの振動ベルが鳴ったので私は飲み物を取りに行ったのだが、友人の夫がすぐに私の後をついてきた。妻も立ち上がろうとした時、私の友人がこう言ったというのだ。「男たちにやらせておきなさいよ」。私たちはその文章を別の人からまた言われて、見つめ合って笑った。今度は私に与えられたのは女役だ。物を持つことには慣れていて難しいことではなかったし、お二人も手が必要に見えた。運ぶべき品物の数も多かった。妻に目をやると、持っているものが重くて大変そうに見えた。私はすぐに妻の荷物を持ってやった。その様子を見た女性は感嘆しながら言った。

 「妹に本当にやさしいお姉さんですね」

 よく言われる褒め言葉だ。こんな姉妹は見たことがないと。私は私の「妹」に不思議なほどよくしてやる「姉」だ。不動産公認仲介士も民泊の主人のおばあさんも、私たちに姉妹なのかと聞いてきては、お姉さんはタフで妹は優しくて、2人の友愛が本当に微笑ましいと言った。夫婦は似てくるというが、私たちは目も鼻も口も似ているし、表情も話し方も似ている。誰が見ても、「私の妻の姉」であることが明らかな私の目からは、それほど蜜がぽたぽたとしたたり落ちているようだ。私的な質問ひとつ簡単にはしなかった上品なその女性までもが、その一言はおっしゃった。私はまた「見えちゃったか」と思って瞬間的に言い訳をした。

 「この子は子どもの時から体が弱いんです」

 今回、私は今も体の弱い妹の面倒を見る丈夫な姉になった。これくらいなら納得してもらえただろうか。疑問の理由を確認してもらったその女性はうなずいた。私たち夫婦はまたしても姉妹になった。夫婦であれ姉妹であれ、家族であることには変わりないではないか。私たちは中古取引をしようが旅に出ようが食堂で食事をしようが、口の達者な運転手さんの運転するタクシーに乗ろうが、だいたいこうして姉妹だと言い繕ってやり過ごす。

 「私たち夫婦です」

 かつての私は今と違うふうに答えていた。ドイツに長く住んでいたせいで、私は自分がレズビアンであることをあまり気にせずに生きることに慣れていた。たまに誰かが私と私のパートナーを別の関係だと誤解しても、私は私たちがカップルであることを明らかにしていたし、相手はたいてい軽く謝ってきた。それで終わりだった。レズビアンはそれほど大げさなものだろうか。地球のどこであれ、レズビアンは大げさなものでなくはない。でも私は相手を面食らわせずに済んでいた。しかし、韓国に帰って来た私は人々をとても当惑させ、不快にさせる人間になってしまった。私が自分について軽く話すと、雰囲気は一瞬にして凍りついた。私がレズビアンであるということは軽い情報ではなかった。韓国においてレズビアンとははるかに重要で重い単語であったし、大したものではなかった私の存在は実に大そうなものになった。私は重要な人間になるために韓国の水をがぶがぶと飲み込んだ。そして、すぐに「完全に韓国人になった」と言われた。褒め言葉だった。

 その上品な中年夫婦は、近所の仲の良い若い夫婦である私たちから品物を買っていった。姉妹だと思われていたし、また私たちも最初から姉妹のふりを少ししていたし、女性が多少驚いた瞬間に姉妹だという確信すら与えもしたが、だ。私はあの女性に「妹に本当にやさしいお姉さんですね」と言われた時、自分はなぜ言い繕ったのだろうかと思った。明らかによい方たちだった。思えば、私の生活半径に良い人たちはいつも多かった。しかし、善良で上品で素敵な人すべてが、レズビアンを前にした時、普段の様子ではなかった。どんな風にであれ面食らった様子が隠せず、かえって私を不快にさせたし、姻戚の八親等などは外国で会ったことがあるという同性愛者のことをわざわざ語り出した。果ては、「私は同性愛に偏見はありません」と言って、自分の偏見を見せつけてくる人もいた。私も異性愛に大きな偏見はないが、相手にそのことを伝えたことはない。当事者を前にして当惑を隠せない姿は品がない。私も、本当に良い方だと思っていた知人が実は異性と付き合っていたという話を聞いた時は、当惑を隠すために非常に努力しなければならなかった。当惑する気持ちが生じることと、それがあらわになることは別物であり、態度の問題だ。韓国で出会った上品な人々は、全員が私たちの前では良い態度を示さなかった。私は日常の些細な瞬間において、袖すり合う人の顔が赤くなる瞬間をやむを得ず作りたくはなかった。しかし、にもかかわらず、もしかすると、私はあの上品な夫婦には、単に軽く伝えられたのではないか。

 「私たち夫婦です」

 家族、友人、同僚にみな「オープン」にして生きていっている私さえも、日常ですれ違うすべての人に私たちが夫婦であることを言うわけではない。居づらくなるからだ。おそらく、韓国で暮らす女性カップルの多くは姉妹であるはずで、姉妹として生きていく日常にかなりの水準の技術を持っているだろう。妻と私は時々こんな話をする。

 「それでも、私たちが存在しないわけではないから」

 あの上品な夫婦は実際にレズビアンを見たことがあるだろうか。知る由もない。さらに、私たちの両親のように、我が子がオープンリー・レズビアンなのかを誰が知ろうか。それでも「私たち夫婦です」と言えば「あら、お二人、まるで姉妹のように似ているのね」とウィットに富んだ切り返しのできる方ではなかったろうか。私は、そうだったのに、私が臆病で心配性たったせいで、当惑しないはずの方の前で余計なうそをついたことを願った。そして良い方々だから、私たちのように通り過がりの隣人ではなく、職場の同僚や親戚などのより近い関係の人々は、あの方たちに大して心配することなく性的マイノリティーだという事実を話したことを願った。おそらくそうだろう。

 「ではこれで! 大事に使います!」

 「お気を付けて! 大事に使ってください!」

 私たち夫婦は何度もあいさつをした。ドイツへの移住を控え、大きな荷物をひとつ片付けた私たちは、背中をたたき合いながら家に入った。短くて良い中古取引だった。そして思った。

 「私たちが出会った人たちはレズビアンを実際に見たことがあるのだろうか」

キム・ナリ|韓国人レズビアン兼作家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )