女性にスカーフ着用強制のイランが一転「黙認」、それでも市民が喜べない複雑なワケ

AI要約

2022年、イランで女性がスカーフなしで逮捕され、暴行を受けて死亡する事件が起きたことをきっかけに、女性たちがスカーフなしで街を歩くようになり、テヘランの風景が大きく変化した。

イスラム体制ではスカーフが政治的な道具として使用され、女性たちはスカーフをかぶることで体制の存在感を強調する役割を果たしてきたが、その常識は急速に覆された。

予想よりも早いペースでスカーフが自由化されたことにより、イランの女性たちの自由意志と個性が尊重されるようになった。

女性にスカーフ着用強制のイランが一転「黙認」、それでも市民が喜べない複雑なワケ

 政教一致の国・イランでは、女性は公共の場ではヒジャブ(スカーフ、ベール)を着用して髪を隠さなくてはならない。しかし2022年9月、テヘランで22歳のイラン人女性が「スカーフを着けていなかった」と道徳警察に逮捕され、暴行を受けて数日後に死亡するという事件が起きた。これをきっかけに人々の怒りが爆発、女性や若者を中心に、イラン全土で反政府デモが行われた。あれから2年。首都・テヘランでは現在、大勢の女性たちがスカーフなしで街を歩いている。イスラム体制が崩壊したわけでもないのに、いったい何が起こったのだろうか?(イラン在住日本人 若宮 總)

※本稿は、若宮總氏『イランの地下世界』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

● 2023~24年、女性達がスカーフなしで テヘランの街を歩くようになった

 2022年の反体制デモから1年半以上が経った今、テヘランを訪れる人はそこをドバイやイスタンブルと錯覚するかもしれない。

 もちろん、テヘランにはドバイのように高級なビーチリゾートもなければ、イスタンブルに似たフェリーの行き交う穏やかな入り江もない。しかし、この町には新しい「風景」がある。スカーフなしで歩く女性たちだ。 その姿は、まさに一つの風景と言ってよいほど、すっかりこの町になじんでいる。女性がスカーフを外して道を歩くだけで、すすけたコンクリート砂漠だと思っていたテヘランの町の印象さえも、どこか明るくなる。

 正直、これほど短い期間に、これほど大きな変化が起こるとは思ってもみなかった。それはイラン人にとっても同じだ。何しろ、ついこのあいだまで「スカーフが自由になる日は、イスラム体制の崩壊する日」とまで言われていたのだから。

● 2024年、「鬱陶しいぼろきれ」スカーフを 脱ぎ始めた女性たち

 今でもはっきり覚えていることがある。2018年ごろだったろうか。私は友人のサラさん(仮名)にこう言った。

 「賭けてもいい。あと15年以内に、スカーフは自由になる!」

 大した根拠もなく豪語する私を、彼女はあきれたような目で見ていた。

 「ありえないわ。この体制はスカーフでもっているようなものなんだから」

 その表情には、悲しいあきらめが漂っていた。彼女は日頃からスカーフを「鬱陶しいぼろきれ」と呼び、プライベートでは決してそれをかぶらなかった。

 「スカーフでもっている」というのは、つまりこういうことだ。イスラム体制は、「イスラム的支配」を常に可視化したい。まあ早い話、「ほら見て、こんなところにもイスラム的支配が及んでるでしょ!」と見せびらかしたいわけだ。

 女性たちがスカーフをかぶれば、とりあえず「イスラムっぽい雰囲気」は十分すぎるくらいに出る。逆に、かぶってもらえなくなると、「あれれ、この国のどこがイスラムなの?」と言われかねない。つまり、体制の求心力が問われてしまうのだ。

 スカーフは政治的な「道具」としてイスラム体制の根幹を支え、自分たちはその犠牲となっている――。それがこの国に暮らす女性たちの常識だった。だからこそ、「スカーフが自由になる日は、イスラム体制の崩壊する日」だったのである。

 ところが、である。サラさんと私がそんな話をした日から、15年どころかわずか4年ほどでスカーフは自由になった。私の予想は的中したのだ。しかも、思ったよりだいぶ早く。