戦闘で左脚を失った元ウクライナ兵、パリ・パラリンピック出場へ ケガで苦しむ人々へ伝えたい「想い」とは

AI要約

ウクライナの元兵士が戦場で負傷し、左脚を失った後にパラリンピック選手として活躍する姿を描いたストーリー。

スポーツが彼の回復に大きな役割を果たし、同じような状況の人々にもスポーツを勧める。

戦争により多くの兵士や民間人が傷つき、ウクライナ政府が社会復帰支援に取り組む中、彼は勝利を目指してパリ・パラリンピックに挑む。

戦闘で左脚を失った元ウクライナ兵、パリ・パラリンピック出場へ ケガで苦しむ人々へ伝えたい「想い」とは

昨年の激しい戦闘で負傷したとき、元ウクライナ兵のエフヘニー・コリネツさんは、自分は死ぬのだと思った。

1年5カ月後、彼の人生は一変した。

衛生兵だったコリネツさんは、股関節から下の左脚を切断しなければならなかった。その後、彼はシッティングバレーボールのウクライナ代表チームに選ばれた。

エフヘニー・コリネツさん

「負傷して、塹壕の中で私は人生に別れを告げようとしていた。ただ1つ、心に浮かんだのは『私は25歳で、どこにも旅行したことがなく、世界を見たことがないのにいま死にかけている』ということだった。それが今では逆の結果になった。いま私は旅をしていていろんな所へ行った。米国、中国、そのほかの国々、そしてもちろん欧州も」

コリネツさんはパリ・パラリンピックに出場する約140人から成るウクライナ選手団の1人だ。

ロシアの全面侵攻を受けて、この大会はさらなる重要性を帯びた。2年半に及ぶ戦争は、多くの兵士や民間人にその後の人生を変えてしまうほどの大きな傷を負わせた。ウクライナ政府は、退役軍人を社会復帰させるという重い課題に直面している。

コリネツさんは、左脚切断後の回復にスポーツが大きな助けになったと語り、自分と同じように負傷で退役を余儀なくされた人々にもスポーツを勧めている。

「各地の町であらゆるスポーツが普及されるべきだ。退役軍人が何をしたらいいのかわからず、家で座っているなんてことがあってはならない。仲間たちは退役した人を探して連絡を取り続け、『一緒にトレーニングしよう、来てくれ』と言うべきだ。退役軍人をこの罠から引き出さなければならない。さもないと罠にはまり、その人は病気になってしまう」

パリへ向かうコリネツさんの目標はただ1つ、「勝利、ほかは何もいらない」と彼は言う。

このストーリーは、ロイターカメラマンのイヴァン・リュビシュ・カーデイが撮影した。この撮影の直後、カーデイ・カメラマンを含むロイター取材班が滞在していたウクライナ・クラマトルスク市のホテルはミサイル攻撃を受けた。

カーデイ・カメラマンは現在も病院で危篤状態にある。また安全アドバイザーのライアン・エバンスがこの攻撃で死亡した。