所在不明60年後、台湾彫刻の幻の傑作「発見」 東京芸大で展示へ

AI要約

 大正時代に東京美術学校に入学し、黄土水が創作した彫像「甘露水」が60年以上ぶりに発見された。

 「甘露水」は台湾のビーナスとも呼ばれ、黄土水の死後、台湾に運ばれ、戦後に行方不明になった。

 彫像は東京芸術大学美術館で展示される予定で、黄土水の功績が再評価される可能性が高い。

 大正時代に東京美術学校(現・東京芸術大)に入学し、高村光雲に師事しつつ、自ら西洋彫刻も学んだ台湾人の天才彫刻家、黄土水(こうどすい)(1895~1930年)。その「幻の傑作」とされた彫像「甘露水」(1919年)が新型コロナウイルス禍の2021年5月、台湾中部のプラスチック工場に置かれた木箱の中から姿を現した。

 戦後に行方不明になってから、実に60年以上の歳月が流れていた。その「発見」は台湾の美術関係者に衝撃を与えた。

 甘露水は1921年に日本の帝展に入選した作品。大理石の彫像で、裸身の女性が大きな貝がらを背に立つ姿から、「台湾のビーナス」とも称される。ただ、西洋のビーナスの姿とは異なる。西洋の方は恥ずかしそうに身をよじっているのに対し、黄の女性像は顔を上げ、堂々とした姿だ。

 黄の死後、日本から台湾に運ばれた甘露水は、台北市の台湾教育会館(現・二二八国家記念館)が所蔵していたが、戦後、この建物は台湾省臨時省議会に替わった。議会は58年に台中への移転が決まり、4月に建物内の文物が台中に運ばれた。ところが、その引っ越しの過程で甘露水は一時、台中駅に放置され、その後こつぜんと姿を消した。

 台湾美術史に重要な位置を占める甘露水を多くの美術関係者が捜し求めた。「発見」に尽力した台北教育大北師美術館創設者で総合プロデューサーの林曼麗(りんまんれい)氏は、曲折を経た約60年の間、甘露水が無事だったことは奇跡に近いと考えている。

 なぜ木箱の中にあったのか。入選から100年という節目の年に姿を現したのは単なる偶然なのか。その驚きの秘話には、台湾の激動の歴史も大きく絡んでいた。

 彫像は黄の母校、東京芸術大の大学美術館で9月6日から展示される。【鈴木玲子】