「ロシアのイーロン・マスク」、子どもは100人超? テレグラフ創業者パベル・ドゥロフとは

AI要約

パベル・ドゥロフは、天才プログラマーであり、億万長者の起業家で、クレムリンの手先であり、言論の自由の闘士であり、100人を超える子どもの父親でもある。その複雑な人物像を持つ彼の生い立ちやキャリアについて紹介されている。

ドゥロフはテレグラムの創設者として知られ、通信の自由を求めて国境を越えた生活を送り、テレグラムの暗号化を巡って各国政府やEUと対立している。また、イタリアに生まれ、ソ連に帰国した経歴や、兄との関係、起業までの経緯が語られている。

ロシアのSNS「VK」を立ち上げた後、政府との対立から辞任し、自由を求めて国外へ逃れたドゥロフ。彼が金銭よりも自由を大切にする姿勢や、個人情報保護への姿勢が紹介されている。

「ロシアのイーロン・マスク」、子どもは100人超? テレグラフ創業者パベル・ドゥロフとは

(CNN) パベル・ドゥロフはさまざまな顔をもつ。天才プログラマー。億万長者の起業家。クレムリンの手先。言論の自由の闘士。100人を超す子どもの生物学的な父親。

フランスで拘束された通信アプリ「テレグラム」創設者のドゥロフは、マーク・ザッカーバーグ並みの天性の才能、ジャック・ドーシー並みの風変わりなライフスタイル、イーロン・マスク並みの自由奔放さを併せ持つ謎めいた人物として知られる。出産奨励主義と子どもの父親になることへの執着心も、マスクと共通する。ドゥロフは7月、過去15年の精子提供を通じて100人以上の子どもの父親になったと語っていた。

ブルームバーグ通信によると、資産は推定91億5000万ドル(約1兆3000億円)。数多くのパスポートと住居を持ち、時にはシャツを脱ぎ捨てた姿を披露し、民主国家からも非民主国家からも目を付けられながら、通信の自由を求めて10年にわたって国境のない生活を送ってきた。

ドゥロフは今、通信の安全を守るテレグラムの暗号化の仕組みをめぐり、各国政府の安全保障上の懸念や、欧州連合(EU)によるIT大手規制と対立している。

本人が右派のコメンテーター、タッカー・カールソンのインタビューで語ったところによると、ドゥロフは1984年、当時のソ連に生まれ、4歳の時にイタリアへ移住。ソ連崩壊後に一家でロシアに帰国した。

兄のニコライは幼少時から数学の天才で、子ども時代は兄の方が目立つ存在だったという。兄はイタリアのテレビに出演してその場で三次方程式を解いて見せ、国際数学オリンピックでは何度も金メダルを受賞した。弟の方は自分が通う学校や地元の最優秀生徒だった。

2人ともプログラミングや設計が大好きだったといい、90年代初めにイタリアからロシアに帰国した際は、IBMの「PC/XT」コンピューターを持ち帰った。

2006年にSNSのVkontakte(VK)を起業した時は、大学を卒業したばかりの21歳だった。VKはすぐに「ロシアのフェイスブック」として有名になり、ドゥロフはロシアのマーク・ザッカーバーグと呼ばれるようになった。

しかしドゥロフはやがてロシア政府と対立するようになる。

13年、ウクライナの親ロシア派大統領だったビクトル・ヤヌコビッチに対する抗議デモの組織化にVKが使われ始めた当時、ドゥロフは、ウクライナのユーザーの個人情報を引き渡すようロシア政府から要求されたと打ち明けた。

「我々は拒んだ。それでロシア政府とうまくいかなくなった」とドゥロフはカールソンに語っている。

その後ドゥロフはテレグラムの最高経営責任者(CEO)を辞任し、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領に近い人物が後任を引き継いだ。ドゥロフは持ち株を全て売り払ってロシアを離れ、VKは国家が統制するようになった。

「自分にとって大切なのは金持ちになることではなかった。自由になることが人生の全てだった。可能な限り、自分の人生の使命はほかの人たちにも自由になってもらうことにある」「私は誰からも命令されたくない」