50年以上にわたる拡声器めぐる対立…9年前には全面戦争直前まで

AI要約

南北は、北朝鮮に対する拡声器を用いての「心理戦」をめぐり50年以上も確執、衝突、妥協を繰り返してきた。

1963年から始まった拡声器放送は、南北の軍事的緊張が高まる度に再開と中止が繰り返され、2018年に南北首脳の宣言で中止されるまで続いた。

北朝鮮は拡声器放送を「体制への脅威」とみなし、韓国軍が再開すると敏感に反応し、軍事的衝突や妥協が続いてきた。

50年以上にわたる拡声器めぐる対立…9年前には全面戦争直前まで

 南北は、北朝鮮に対する拡声器を用いての「心理戦」をめぐり50年以上も確執、衝突、妥協を繰り返してきた。

 北朝鮮に対する拡声器放送は朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代の1963年から始まり、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の2004年に南北軍事合意によって中止された。その後は、非武装地帯(DMZ)での木箱地雷事件(2015年8月)、北朝鮮の4回目の核実験(2016年1月)など、南北の軍事的緊張が極度に高まる度に再開と中止が繰り返されてきた。2018年4月の南北首脳による「板門店宣言」で拡声器放送が中止されるまで、韓国軍では軍事境界線に近い最前線の警戒部隊が、固定式拡声器と車両に搭載する移動式拡声器を40カ所以上で運用していた。

 1960~80年代は北朝鮮軍の亡命を誘導することを狙った政治的内容が多かったが、2010年代以降は韓国側の北朝鮮に関するニュース、気象情報、大衆歌謡などが放送された。9日に再開された拡声器放送では、ラジオ放送「自由の声」が放送されている。

 北朝鮮は、拡声器放送を「体制への脅威」とみなし、拡声器に向かって砲撃するほど敏感に反応してきた。2015年8月に非武装地帯の木箱地雷事件に対抗して韓国軍が拡声器放送を再開すると、北朝鮮は京畿道漣川郡(ヨンチョングン)の第28師団の最前線に配置された拡声器を狙って、高射銃1発と直射火器3発を発射した。これに対し、韓国軍が砲弾発射推定地点に向かって155ミリりゅう弾砲28発で対応射撃を実施すると、北朝鮮は準戦時状態を宣言し、南北は全面戦争の一歩手前まで行った。この時、先に対話を提案したのは北朝鮮だった。3日間の交渉で、北朝鮮は木箱地雷で韓国軍の兵士が負傷したことに遺憾の意を表明してまで、「拡声器放送の中止」を要求した。北朝鮮が体制内部の動揺を引き起こす可能性のある拡声器放送を非常に懸念していることを示す例とされる。

パク・ミンヒ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )