民間人の巻き添えの可能性を「考慮すらしていなかった」イスラエル─軍の都合で上下した「死んでもよい民間人の数」

AI要約

2023年10月に始まったイスラエルによるガザ地区攻撃では、15~20人の民間人が巻き添えになる許容度が設定され、下級の戦闘員を攻撃する際に適用された。

標的には20人の民間人が巻き添えになる可能性もあったが、最終的には15人に引き下げられ、その後はさらに5人に制限された。攻撃が複雑化し、時間の経過とともに許容度が変動した。

最初の1~2週間の戦闘でイスラエル軍は大規模な爆撃を行い、巻き添え被害を受けることが多かったが、現在は民間人を家ごと爆撃することは避けており、軍事行動による被害を低減している。

民間人の巻き添えの可能性を「考慮すらしていなかった」イスラエル─軍の都合で上下した「死んでもよい民間人の数」

敵側の下級の戦闘員1人の殺害に際し、15~20人の民間人が巻き添えになる──これは現代の戦争では異例なことだが、2023年10月に始まったイスラエルによるガザ地区攻撃では、実際にそのくらいの巻き添え被害が許容されていた。(この記事は第4回/全5回)

ある証言者は、ラベンダーのようなAIシステムにマークされた標的を含む下級の工作員を攻撃する際、標的1人と同時に殺害してもよいとされる民間人の数は、戦争開始後の数週間は20人に固定されていたと述べる。別の証言者は、その数字は15人だったと述べている。

この「巻き添え被害の許容度」は、階級や軍事的重要性や年齢に関係なく、殺害の軍事的利点と民間人への危害が釣り合っているかどうかがケースバイケースで考慮されることもなく、すべての下級戦闘員と疑われる人々に一気に適用されたという。

今回の戦争で標的作戦室の将校だった証言者Aによれば、軍の国際法部門がこれほどの巻き添え被害の度合いを「全面的に承認」したことはかつてなかったという。「ハマスの兵士なら誰でも殺してよい(これは国際法上、明らかに認められ、合法とされるとAは主張する)というだけでなく、多くの民間人も一緒に殺してよいと、直接告げられた」

「過去1~2年の期間にハマスの制服を着ていた人なら誰でも、特別の許可なしに20人の民間人を巻き添えにして爆撃される可能性がある」とAは続けた。「現場では、巻き添え被害の正当な度合いを維持するという原則は存在しなかった」

Aによると、彼が従軍していたほとんどの期間、そのような方針がとられていたという。軍が巻き添え被害の許容度を引き下げたのは時間が経ってからだ。「この計算では、下級の工作員であっても標的1人とともに20人の子供が犠牲になる可能性がある。昔はそのようなことはなかった」と彼は説明する。この方針の安全保障上の論理性を問われると、彼は「標的をどれだけ排除できるかだ」と答えた。

あらかじめ設定された一定の巻き添え被害の許容度は、ラベンダーを使った標的の大量生成を加速させるのに役立ったという。なぜなら、時間を節約できたからだ。証言者Bは、開戦後最初の週、AIにマークされた下級戦闘員1人の排除につき、殺害が許容された民間人の数は15人だったが、この数は時間とともに「上がったり下がったりした」という。

10月7日以後の最初の1週間について、Bはこう証言する。「当初、私たちは巻き添え被害のことをほとんど考慮せずに攻撃した。実際、爆撃を受けた各家屋にいる民間人の人数を数えることすらしなかった。その人たちが家にいるかいないか、はっきりとわからなかったからだ。1週間後、巻き添え被害の規制が始まった。許容される人数は15から5に下げられた。すると、今度は攻撃が著しく困難になった。家族全員が在宅の場合、爆撃が不可能になるからだ。なので、軍はまた数値を引き上げた」

情報筋の証言によると、米国の圧力もあって、イスラエル軍は現在では、民間人の家ごと爆撃してもよいとされる“下級の標的”の大量生成をおこなっていない。ガザ地区のほとんどの家屋がすでに全壊か半壊しており、ほとんどすべての住民がすでに避難していることも、情報データベースや家屋位置特定の自動プログラムに頼る軍の能力を低下させている。

証言者Eは、下級の戦闘員に対する大規模な爆撃は戦争が始まって最初の1~2週間だけで、その後は爆弾をむだにしないために中止されたと主張する。

「弾薬を節約しなければならない。イスラエル軍は、レバノンにいるヒズボラとの戦争が国の北部で起こることを常に恐れている。なので、イスラエルがこのような下級の標的を攻撃することはもうない」

しかし、ハマスの上級の司令官に対する空爆はまだ続いており、これらの攻撃においては、標的1人につき「数百人」の民間人の殺害が許可されていると、情報筋は証言する。これは、イスラエルの歴史上も、最近の米軍の軍事作戦でも、例のないことだ。

「シュジャイヤ大隊の司令官を爆撃したとき、私たちは100人以上の民間人が殺害されることになるとわかっていた」とBは2023年12月2日の爆撃について振り返った。「私の感覚としては、異常だった。民間人100人というのは、明らかに一線を越えている」

ガザに住むパレスチナ人の若者、アムジャド・アル=シェイクは、その爆撃によって家族の多くが殺されたと語る。ガザ市東部のシュジャイヤの住民である彼は、その日は地元のスーパーマーケットにおり、5回の爆撃音とともにガラス窓が粉々になったという。

「私は家族の家へ走ったが、そこにはもう建物がなかった」とアル=シェイクは語った。「通りには人々の悲鳴があふれ、煙が充満していた。住宅街全体が瓦礫の山と化し、深い穴があいていた。みんな、素手でセメントをかき分けて犠牲者を探しはじめ、私も家族の住んでいた家で痕跡を捜索した」

アル=シェイクの妻と乳児の娘は、瓦礫の上に落ちてきたクローゼットで守られて助かった。だが、アル=シェイクの兄弟姉妹とその子供たちを含む11人の家族は、瓦礫の下敷きになり亡くなった。人権団体ベツェレムによると、この日の爆撃で数十棟の建物が壊され、数十人が死亡、数百人が瓦礫の下に埋まったという。