# 特攻

テレ東美人アナ、早田ひな発言で注目の〝あの場所〟を訪問「理解を深めることができそうです」
2024.08.16

テレ東美人アナ、早田ひな発言で注目の〝あの場所〟を訪問「理解を深めることができそうです」

 テレビ東京アナウンサー池谷実悠さんが、自身のXで知覧特攻平和会館へ訪れたことを伝えた。 池谷さんは「6月に祖父母と一緒に、知覧特攻平和会館と富屋食堂に行ってきました」と綴り、知覧特攻平和会館の前で撮影した写真などを掲載している。また、「1ヶ月ほど前には曽祖父の軍歴証明書の申請も

卓球・早田ひなで注目の「知覧特攻平和会館」にテレ東アナが訪問 「理解を深めるきっかけになれば」
2024.08.16

卓球・早田ひなで注目の「知覧特攻平和会館」にテレ東アナが訪問 「理解を深めるきっかけになれば」

 テレビ東京の池谷実悠アナウンサー(27)が2024年8月15日、鹿児島・南九州市にある歴史博物館「知覧特攻平和会館」に訪れたことを、インスタグラムで報告した。■祖父母と訪問 終戦の日である15日、池谷アナは24年6月に祖父母と「知覧特攻平和会館」や「富屋食堂」に行

最後の特攻(8月16日)
2024.08.16

最後の特攻(8月16日)

 まなこを染めた海は何色だったろう。息をのむような群青か。もはや尋ねることは、かなわない。若い命は果てしない海原に吸い込まれた▼79年前の8月15日。玉音放送が終戦を告げた日の夕刻、特攻機11機が大分から南方へ飛び立った。海軍中将の宇垣纏[まとめ]が率いた「最後の特攻戦」が始まる。いわき市出身

韓国卓球・申裕斌が抱擁した早田ひな「神風発言」で波紋…中国「一線を越えた」
2024.08.16

韓国卓球・申裕斌が抱擁した早田ひな「神風発言」で波紋…中国「一線を越えた」

2024パリオリンピック(五輪)で韓国の申裕斌(シン・ユビン、20、大韓航空)を下して女子卓球シングルス銅メダルを獲得した日本の早田ひな(24)が日本帝国主義を象徴する神風記念館に行きたいと話して非難を浴びた。15日、日本共同通信やNHKなどによると、早田は13日の帰国記者会見で

特攻の地・知覧に全国の若人たちが集い、平和を訴えた。「過去に学び行動を」 平和スピーチコン
2024.08.16

特攻の地・知覧に全国の若人たちが集い、平和を訴えた。「過去に学び行動を」 平和スピーチコン

 終戦の日の15日、太平洋戦争末期に多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県南九州市の知覧文化会館で「平和へのメッセージfrom知覧第35回スピーチコンテスト」があった。応募総数1759点から選ばれた中学、高校、一般の計9人と平和作文コンテストの小学生1人が平和の思いを訴えた。 中学生

テレ東人気アナ「知覧特攻平和会館」を訪れたと報告「曽祖父の軍歴証明書もこの夏に無事に申請」
2024.08.16

テレ東人気アナ「知覧特攻平和会館」を訪れたと報告「曽祖父の軍歴証明書もこの夏に無事に申請」

 テレビ東京を9月末で退社する池谷実悠アナウンサーが15日、自身のインスタグラムを更新し、鹿児島・南九州市の知覧特攻平和会館を訪れたことを明かした。 終戦の日であるこの日、池谷アナは「6月に祖父母と知覧の#知覧特攻平和会館 や#富屋食堂 に行ってきました」と伝え、写真をアップ。「

終戦の日、千葉の県忠霊塔などで追悼式 戦争の悲惨さ語り継ぐ 平和への誓い新た
2024.08.15

終戦の日、千葉の県忠霊塔などで追悼式 戦争の悲惨さ語り継ぐ 平和への誓い新た

終戦から79年となった15日、千葉県でも各地で先の大戦の犠牲者への追悼式が行われ、恒久平和の誓いを新たにした。県主催の式は県忠霊塔(千葉市中央区)で行われ、熊谷俊人知事や県遺族会の川島義美会長(83)ら約50人が参加した。正午から1分間、黙禱(もくとう)をささげ、花を手向けた。<

出撃前日に終戦迎えた元特攻隊員 自宅に設けた「資料館」を後世に 資料は人海戦術で新たな場所へ
2024.08.15

出撃前日に終戦迎えた元特攻隊員 自宅に設けた「資料館」を後世に 資料は人海戦術で新たな場所へ

戦争の記憶を未来へ、「NO WAR プロジェクト つなぐ、つながる」。出撃前日に終戦を迎えた元特攻隊員。自宅に作った資料館を後生に受け継ぐ取り組みを取材しました。大分予科練資料館。元特攻隊員の川野喜一さんが1988年、自宅の一角に設けた私設の資料館です。戦友や遺族から寄せられた写

卓球・早田ひな選手「特攻資料館行きたい」発言が中国で曲解「侵略者を崇拝」早田選手の中国SNSにも非難コメントが
2024.08.15

卓球・早田ひな選手「特攻資料館行きたい」発言が中国で曲解「侵略者を崇拝」早田選手の中国SNSにも非難コメントが

13日、帰国会見を行った卓球日本代表。早田ひな選手(24)は会見で「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていることを、そして自分が卓球をこうやって当たり前にできていることというのは当たり前じゃないというのを感じたい」と話しました。この発言を巡り、中国で波紋が広がっていま

卓球・早田ひな「行きたい」場所へ…テレ東池谷実悠アナ「6月に行ってきました」
2024.08.15

卓球・早田ひな「行きたい」場所へ…テレ東池谷実悠アナ「6月に行ってきました」

 テレビ東京の池谷実悠アナウンサー(27)が15日、自身のSNSを更新。鹿児島の知覧特攻平和会館に行ったことを明かした。 写真と共に「6月に祖父母と一緒に、知覧特攻平和会館と富屋食堂に行ってきました」と投稿した。 知覧特攻平和会館はパリオリンピック(五輪)卓球女子団

「帰ることはできない。自爆ですわ」知られざる水上特攻隊「マルレ部隊」 元兵士が伝える“戦争の愚かさ” 終戦79年
2024.08.15

「帰ることはできない。自爆ですわ」知られざる水上特攻隊「マルレ部隊」 元兵士が伝える“戦争の愚かさ” 終戦79年

第2次世界大戦で、自らを犠牲にして敵に突入した特攻隊の一つに「マルレ部隊」と呼ばれた水上特攻隊があった。16歳で「マルレ部隊」に入った元兵士に話を聞いた。佐野博厚さん(96)は戦争当時、「マルレ部隊」と呼ばれた「陸軍海上挺進戦隊」に所属していた。「乗って敵船に体当た

特攻出撃の先輩への思い胸に戦没者追悼式出席 最高齢遺族の長屋昭次さん「慰霊は使命」
2024.08.15

特攻出撃の先輩への思い胸に戦没者追悼式出席 最高齢遺族の長屋昭次さん「慰霊は使命」

「慰霊は私の使命」。全国戦没者追悼式で最高齢遺族として参列した北海道網走市の長屋昭次さん(97)。中国で戦病死した兄の保さん(当時26)と特攻で出撃していった先輩たちへの思いを胸に、つえをつき、ゆっくりと会場に入った。8歳上の保さんは鉱山や電機関係の仕事をしながら家族の暮らしを支

17歳の特攻隊員「ユキ」が両親宛てに最後の手紙、封筒の隅に書いた「小さな4文字」とは
2024.08.15

17歳の特攻隊員「ユキ」が両親宛てに最後の手紙、封筒の隅に書いた「小さな4文字」とは

 出撃間近に写された少年飛行兵たちの笑顔の写真。中央で微笑んでいる少年こそ、本書の「ユキ」こと荒木幸雄です。陸軍の少年飛行兵として特攻隊員となり、第七十二振武隊の九九式襲撃機に乗り込んで、沖縄沖の米軍艦に突入、わずか17歳で短い生涯を終えました。本書『ユキは十七歳、特攻で死んだ』(毛利恒之著、

【書評】森永卓郎氏が選ぶ、79年前の戦争を知るための1冊 『人間機雷 「伏龍」特攻隊』追い詰められた権力はここまで非人道的になれるのか
2024.08.15

【書評】森永卓郎氏が選ぶ、79年前の戦争を知るための1冊 『人間機雷 「伏龍」特攻隊』追い詰められた権力はここまで非人道的になれるのか

 敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り

古市憲寿氏 早田ひな“特攻平和会館行きたい”「特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのは…」
2024.08.15

古市憲寿氏 早田ひな“特攻平和会館行きたい”「特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのは…」

 社会学者の古市憲寿氏(39)が15日、フジテレビの情報番組「めざまし8(エイト)」(月~金曜前8・00)に出演。パリ五輪の卓球女子シングルスで銅メダル、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24=日本生命)の「特攻平和会館に行きたい」発言について言及した。 卓球の日本代表は13日、

古市憲寿氏「意外でしたね」パリ五輪卓球団体銀の早田ひな「知覧特攻平和会館に行きたい」発言に
2024.08.15

古市憲寿氏「意外でしたね」パリ五輪卓球団体銀の早田ひな「知覧特攻平和会館に行きたい」発言に

 社会学者の古市憲寿氏が15日、フジテレビ系「めざまし8」(月~金曜午前8時)に出演。パリ五輪卓球女子団体で銀メダル、女子シングルスで銅メダルにを獲得した早田ひな(24)が帰国会見で「知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)に行きたい」と発言したことに、「意外でしたね」とコメントした。

命が消えた瞬間「ツ-」 特攻隊員モールス信号 “最期の叫び”伝え
2024.08.15

命が消えた瞬間「ツ-」 特攻隊員モールス信号 “最期の叫び”伝え

 セタセタセタツー……(我、戦艦に突入す)。「ツー」は戦艦に突っ込む直前の音。海軍航空隊串良基地(現・鹿児島県鹿屋市)から飛び立った特攻隊員の“最期の叫び”だ。 このモールス信号を受信していたのが基地近くの地下壕(ごう)の第一電信室。深さ約7メートル、全長約51メートルの地下壕に

沖縄陥落で延期、玉音放送で予定変更…まさかの展開で「特攻命令」を免れた元学徒兵たちの証言「ハァーって溜息が出るような気持ち」
2024.08.15

沖縄陥落で延期、玉音放送で予定変更…まさかの展開で「特攻命令」を免れた元学徒兵たちの証言「ハァーって溜息が出るような気持ち」

第1回【ゼロ戦で墜落死したはずが棺桶の中で蘇生、仲間が「生きているぞ」と大騒ぎして…太平洋戦争「出陣学徒」たちの壮絶体験】からの続き 持ち慣れぬ小銃を手に、約3万人の学生が外苑で雨中を行進した「出陣学徒壮行会」は、昭和18年(1943年)10月21日に行われた。徴兵された学徒は1

「愚かな指導者たちが生き残るのに、自分は死ぬ」…残される親や女性を思いながらも、諦めを抱いて突入した特攻隊員
2024.08.15

「愚かな指導者たちが生き残るのに、自分は死ぬ」…残される親や女性を思いながらも、諦めを抱いて突入した特攻隊員

生還の見込みのない体当たり兵器に乗り込んだ若者たち。戦局挽回、国民の士気高揚を目的に「一億総特攻」を打ち出す軍上層部、メディア。国民は特攻、そして特攻隊員をどう見ていたのか。『特攻隊員の現実』では、前線、銃後の人びとの生の声をもとに、特攻を再現する。本

「急きょ、大和の特攻を考えたと」連合艦隊参謀の“肉声”発掘 戦艦大和「水上特攻」79年目の真実
2024.08.15

「急きょ、大和の特攻を考えたと」連合艦隊参謀の“肉声”発掘 戦艦大和「水上特攻」79年目の真実

 太平洋戦争で日本の敗北がすでに決定的となっていた1945年4月。連合艦隊参謀・三上作夫は、海軍航空部隊の前線基地がある鹿児島県・鹿屋にいた。 三上は当時37歳。的確な戦況分析と沈着冷静な性格を買われて44年9月、連合艦隊参謀に抜擢されたエリートだった。三上は参謀として水上部隊の