【ラグビー】1部で勝つ釜石実現へ 小野航大主将、25日入れ替え戦に勝利し2部残留決める

AI要約

日本製鉄釜石シーウェイブスがかつての輝きを取り戻すため、リーグワン2部/3部入れ替え戦に臨む。

チームは釜石の復興を背負い、地域の困難を乗り越える姿勢を持って試合に臨む。

釜石SWの歴史や日本選手権での輝かしい実績、チームの意気込みが紹介されている。

【ラグビー】1部で勝つ釜石実現へ 小野航大主将、25日入れ替え戦に勝利し2部残留決める

 “鉄”の輝きを取り戻す。かつて「北の鉄人」と呼ばれた「新日鉄釜石ラグビー部」を前身に持つ日本製鉄釜石シーウェイブス(2部6位)が25日、クリタウォーターガッシュ昭島(3部3位)とのリーグワン2部/3部入れ替え戦第2節(東京・AGFフィールド、正午)を迎える。日刊スポーツ東北版はWTB小野航大主将(32)、第1節でゲームキャプテンを務めたFLサム・ヘンウッド(33)にインタビュー。第1節は37-19で見事勝利し、2部残留にグッと近づいた。集大成の第2節へ、2人は“ラグビーのまち”釜石を背負う覚悟を示した。【取材・構成=濱本神威】

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 「北の鉄人」は日本選手権7連覇という輝かしい結果を残した。14年にチームに加入してから釜石一筋の小野は「その頃の輝きをもう1度っていうのを描いてる人たちがいっぱいいる」と語り、力強いまなざしで「今週のゲームはなんとしても負けられない。ディビジョン1にチャレンジするっていう意味でも、絶対にディビジョン2に残らないと」と決意を新たにした。

 これまでに幾度となく目の当たりにしてきた、困難に立ち向かう地域の姿が原動力になっている。なかでも19年のラグビーワールドカップ日本大会に向けて、戦う地域の人たちの姿が脳裏に焼き付いている。「すごい象徴的だった。僕が来た時は更地だったところにスタジアムが建った」。

 同市は11年3月11日、東日本大震災により甚大な被害を受けた。小野が加入した当時は、海沿いにがれきが残るなど、まだまだ復興途上。道路も通っていなかった。18年7月30日、釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが完成。ラウンジや木製シート、トイレ棟には、17年に同市尾崎半島の林野火災で被害を受けたスギを利用するなど、不撓(ふとう)不屈の精神がいたるところに感じられた。

 19年9月25日、同スタジアムで「フィジー対ウルグアイ」が開催された。「多分誰もスタジアムが建つと信じられない時に、信じられる地域の人たちがいたから成立した試合だと思います。そこに向かっていく地域の方々の一体感、皆さんのパワーを感じました」。観客数は1万4025人。会場では釜石ラグビーの象徴である富来旗(ふらいき)がはためいた。「そういう方たちに支えられて僕たちはやっている。そういう方たちに勇気を与えられるようなプレーをしないといけない」。支えてくれる人たちに、決して諦めないプレーと結果で恩返しする。

 チームはこれまでも、釜石とともに思い描いた夢を実現させてきた。「しっかり勝って、もう1度強い釜石を見せられれば」。1部で勝つ釜石実現へ-。かつての輝きを取り戻すためへの第1歩として、2部残留を必ず成し遂げる。

 ◆新日鉄釜石ラグビー部~釜石SW 1959年(昭34)に現在の新日鉄住金の前身、富士製鉄釜石製鉄所に発足した。70年に社名変更で新日鉄釜石ラグビー部に。77年に全国社会人を2度目の制覇、日本選手権では早大を下し初優勝。ミスターラグビー松尾雄治主将らを擁し、79年から85年まで全国社会人、日本選手権で当時最多の7連覇を達成。その強さから「北の鉄人」と呼ばれ一時代を築いた。01年にクラブチーム「釜石シーウェイブスRFC」として再始動。23年10月に名称を「日本製鉄釜石シーウェイブス」と変更した。今季はリーグワン2部に属し、成績は1勝9敗。