名将・古葉竹識からトリプルスリー達成の野村謙二郎まで。歴代カープのショートを守った男たち【前編】

AI要約

遊撃手は内野の要としてチームを支えるポジションであり、広島カープの歴代ショート選手には多くの名プレーヤーが名を連ねてきた。

機動力野球の礎を築いた古葉竹識から、33試合連続安打の日本記録を持つ髙橋慶彦、数々のタイトルを獲得した野村謙二郎まで、カープの歴史と共にショートを守った選手たちの活躍が振り返られる。

彼らの功績は、カープの黄金期を支えるだけでなく、チームの機動力野球や走る赤ヘル野球といったスタイルを体現し、多くのファンを魅了してきた。

名将・古葉竹識からトリプルスリー達成の野村謙二郎まで。歴代カープのショートを守った男たち【前編】

 内野の要としてチームを支える遊撃手。広い範囲をカバーし、 難しい打球をものともせず、華麗にグラブをさばくその姿は、 野手の花形ともいわれている。

 現在カープはプロ4年目の矢野雅哉が堅実な守備を武器に、ショート争いを演じている。過去カープのショートを守ってきた選手には、日本記録保持者、 盗塁の名手、ベストナインなど錚々たる面々が名を連ねる。なつかしのレジェンドから三連覇の立役者まで、 広島のショートを守った男たちの活躍を振り返っていく。

 【前編】の今回は、機動力野球の礎を築いたあの名監督から、『走る赤ヘル野球』を体現したあの名ショートまでを紹介する。

◆『機動力野球』の礎を築き、球団初の日本一に導いた名将/古葉竹識

(カープ在籍:1958~1969、監督・コーチ歴:1974~1985)

 熊本県出身。日鉄二瀬を経て、1958年に遊撃手として広島に入団。徐々に成績を上げると、1963年には長嶋茂雄(巨人)とわずか1厘差という熾烈な首位打者争いを演じた。

 1964年には自己最多57盗塁を記録し、盗塁王を獲得。1970年に南海に移籍し、翌年限りで現役引退。コーチとして広島に復帰すると、1975年にはジョー・ルーツの後任として監督に就任。シーズン途中の監督就任にもかかわらず機動力を活かした野球で快進撃を続け、球団史上初のリーグ優勝に導いた。

 遊撃手としての現役時代から監督時代まで、一貫して足を使ったスタイルを重視し、『カープ機動力野球』の礎をつくりあげ、監督としてカープを4度の優勝、3度の日本一に導いた。

◆初優勝にショートを守り、いぶし銀の打撃でチームに貢献/三村敏之

(カープ在籍:1967~1983、監督・コーチ歴:1984~1998、2004~2005)

 広島商高から1966年ドラフト2位でカープに入団。翌1967年から一軍に定着すると、主に遊撃手・三塁手として出場機会を得た。着実に結果を残しながら遊撃手のポジションを確保すると、1972年にはベストナインにも選出された。

 1975年には古葉竹識監督のもと、セカンドを守る大下剛史と二遊間を組み、1・2番として打線もけん引。カープ史上初のリーグ優勝に大きく貢献した。

 以降は髙橋慶彦、木下富雄らの台頭もあり遊撃手のポジションを譲ったものの、1979年には持ち前の守備力と粘りの打撃でカムバック賞を受賞。

 現役引退直後から長年カープでコーチを務め、1994年からは一軍監督に就任。前年まで苦戦していたチームを4年連続Aクラス入りに導き、緒方孝市、金本知憲らを育て上げた。

◆未だ破られぬ33試合連続安打。広島の元祖リードオフマン/髙橋慶彦

(カープ在籍:1975~1989)

 前人未踏の “33試合連続安打” の日本記録を持つ、レジェンド遊撃手。

 1974年ドラフト会議で3位指名を受け、カープに入団。東東京の城西高時代はエースで4番を担っていたが、プロ入り後は打者に専念。さらに当時の監督である古葉竹識の指示で、スイッチヒッターに転向した。

 ショートとしては1977年に初スタメンを果たすと、翌1978年からはトップバッターを任されカープの切り込み隊長として活躍。1979年には盗塁王に輝き、33試合連続安打の日本記録を樹立。この記録は、いまだ破られていない。

 また、同年の日本シリーズでは打率.444の活躍でMVP・打撃賞を受賞。1984年にはリーグ最多得点を記録し、カープのリーグ優勝、3度目の日本一に大きく貢献した。

 1985年には自己最多の73盗塁をマークし、自身3度目の盗塁王を獲得。ベストナインを5度受賞するなど、持ち前の機動力と攻撃力で黄金期のカープを支え続けた。

◆数々の記録を打ち立てた『走る赤ヘル野球』の体現者/野村謙二郎

(カープ在籍:1989~2005、監督・コーチ歴:2010~2014)

 盗塁王3度、最多安打3度、ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞など数々のタイトルを獲得し、1990年代に不動のリードオフマンとしてカープをけん引した。

 入団1年目から21盗塁を記録するなど、その持ち前の俊足で存在感を示すと、髙橋慶彦がロッテに移籍した翌1990年からショートのレギュラーに定着。1991年は若きリーダーとして優勝に大きく貢献した。

 1995年にはショートとして球団初のゴールデングラブ賞を受賞。さらに打率.315、32本塁打、30盗塁の成績を残し、トリプルスリーも達成した。

 現役最終年の2005年には、球団史上3人目となる2000本安打を達成。2010年からカープ一軍監督に就任すると、2013年に16年ぶりのAクラス入りを果たし、初のCS進出を果たした。2014年限りで監督を退任した。現在は野球解説者として活躍中。