ラモス瑠偉が連れてきた障がい者の子ども、「サッカーでは当然」…北沢豪が描く「障がい者サッカー」の未来

AI要約

北沢豪さんが障がい者サッカーに関わった経緯や国際大会の経験を語った。

日本の観客のサッカーへの関心の限界や障がい者サッカーのカテゴリーについて述べた。

障がい者サッカーの国際大会での印象的なエピソードや日本のスポーツへの普及状況について語った。

 サッカー元日本代表で日本障がい者サッカー連盟会長の北沢豪さんが読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演し、今年8月に開幕するパリ・パラリンピックと来年11月に開幕する東京デフリンピックについて語った。

 北沢さんが日本障がい者サッカー連盟の初代会長に就任したのは2016年。障がい者サッカーの代表チームに初めて関わったのは、2002年日韓ワールドカップ(W杯)の年に開催された知的障がい者サッカーの国際大会「もうひとつのW杯」だった。

 大会に向けて日本代表が編成されたタイミングで、当時現役だった北沢さんはテクニカルアドバイザーに就任。代表選手としてのマインドを選手に伝える役割を担ったという。

 決勝はイングランド対オランダ。選手たちがフル代表と同じデザインのユニホームを着ていたのが印象に残ったという。「日本代表のユニホームは(フル代表と)違った。だけどイングランドとオランダはフル代表と同じユニホームを着ていた。ということは、同じサッカー協会に加盟してるんだなと思った」

 試合会場の横浜国際総合競技場には2万人を超える観客が詰めかけた。「めちゃくちゃうまいんですよ」。試合はイングランドが2―1で勝利し、初優勝を飾った。「(観客は)外国の人たちがほとんどで、日本の人たちはそこまで関心があるものではなかった。まだ日本ではスポーツは限られた人のもので、全ての人のものになっていないというのをその時に思った」

 障がい者サッカーは七つのカテゴリーに分けられる。足や腕に切断障がいがある人の「アンプティサッカー」、脳の損傷による運動障がいがある人の「CPサッカー」、精神障がいがある人の「ソーシャルフットボール」、知的障がいがある人の「知的障がい者サッカー」、自立歩行が困難な重度の障がいがある人の「電動車椅子サッカー」、視覚障がいのある人の「ブラインドサッカー」、聴覚障がいのある人の「デフサッカー」。