鹿島一筋20年の苦悩「自分に嘘ついているのかな」 32歳でJ2電撃移籍…故郷凱旋の真相【インタビュー】

AI要約

モンテディオ山形はJ1昇格プレーオフ出場圏内の6位まで勝ち点2差に迫っており、電撃移籍で地元凱旋を果たした元日本代表MF土居聖真がチームを牽引している。

土居は20年間を鹿島アントラーズに捧げた後、山形への移籍を決断し、地元に帰ってきた喜びと新たな街での生活を満喫している。

鹿島での出場機会が減り、自身のサッカー人生について考える中、新たなチャレンジとして山形で再び輝くことを決意した土居。他の選手としての活躍を見せるために、土居にとって重要な時期が訪れている。

鹿島一筋20年の苦悩「自分に嘘ついているのかな」 32歳でJ2電撃移籍…故郷凱旋の真相【インタビュー】

 モンテディオ山形は、J1昇格プレーオフ出場圏内の6位まで勝ち点2差に迫っている。8月以降は5勝1分1敗、その原動力となっているのが、電撃移籍で“地元凱旋”を果たした元日本代表MF土居聖真だ。常勝軍団の鹿島アントラーズを離れ、新たなチャレンジに挑む32歳のテクニシャンの胸中に迫った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史/全2回の1回目)

   ◇   ◇   ◇   

「自分でも、今、山形にいることにびっくりしています」

 土居聖真は、少しはにかみながら笑顔を見せる。当事者が驚くのも無理はない。小学校を卒業すると同時に地元の山形県を離れ、茨城県・鹿嶋へ拠点を移してジュニアユース、ユース時代を含めて鹿島アントラーズに20年間を捧げてきたのだから――。

 2024年7月25日、土居はJ1リーグ優勝1回、ルヴァンカップ優勝3回、天皇杯優勝1回、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝1回を経験した鹿島から、J2山形へ完全移籍が決まった。

「俺、本当に決断したんだな、移籍したんだなって。山形に住んでいたのはもう20年前で、鹿島で生活していた期間のほうが長くなった。『どちらが故郷?』という感覚は正直あります(苦笑)。僕が住んでいた頃に比べて街も変わったので、覚えているところもあれば、『こんなものができたんだ』という部分もあって、『帰ってきたな』という気持ち半分、『新しい街に来たな』という気持ち半分ですかね。新鮮な気持ちで、喜びの連続が日々続いていて、充実した毎日を過ごせています」

 土居はリーグ戦34試合8得点を記録した2014年以降、常勝軍団・鹿島のレギュラーとして活躍。22年は23試合、23年は24試合と出場機会が減り始めていたなかで、今季は開幕スタメンを勝ち獲った。しかし、その後は途中出場やベンチ外と我慢の時期が続き、試合の登録メンバーに戻ったあとも出番なしや終盤にわずかなプレー時間を与えられる起用にとどまった。

 鹿島を離れる際、土居はリリースで「アントラーズのおかげで、今の土居聖真があります」と感謝の言葉を述べたうえで、「選手としてピッチでまだやるべきことがある」と決断の理由について触れていた。

「今シーズンは鹿島で開幕スタメンを勝ち獲れて、試合途中から出るにしても一番手、二番手。調子が悪いメンバーがいれば先発で使ってもらって、ある程度試合に絡めるシーズンになるかなと思っていました。でも、だんだんベンチにも座れない日々が続いて。『ベテラン』という位置付けにされて、『クローザー的な役割で終わっていくサッカー人生なのかな』というのが頭をよぎったんです。

 昨年、一昨年は怪我を抱えながらプレーしていたことが多くて、100%を出し切れない自分に不満、不甲斐なさがありました。そこは仕方ないと割り切っていましたけど、今年に関してはだいぶ身体の状態も戻って、パフォーマンスも良くて、また飛躍できる年になると思っていました。でも、そう簡単にはいかなかった。『もっと土居聖真をみんなに見せられるのに』という葛藤があって、『プレーしないと、本当にこのまま終わってしまう』と、どこかで感じたんでしょうね」