「元キャバ嬢→スターレスラー」人気のウラには意外な“女性ファン”の存在あり? 記憶に甦るクラッシュ・ギャルズら「全女」全盛期のリング風景

AI要約

東京・秋葉原の書泉ブックタワーで開催された女子プロレスラーのジュリアの新刊記念イベントが話題に。

来場者数460人で808冊の売り上げを記録し、女性ファンの存在が注目される。

ジュリアの自伝には時代との格闘が描かれ、今を生きるファンへのメッセージが込められている。

80年代の女子プロレス黄金時代やクラッシュ・ギャルズの存在、女性ファン比率の変遷に触れる。

ジュリアの内面には昔の「闘う女」のエッセンスが感じられ、女性ファンへのアピールが成功している。

ジュリアがプロレスに興味を持ったきっかけや自らリングに上がるまでの軌跡が紹介され、観客席とリングの関係にも言及。

女子プロレス界における時代性とファンによる評価の重要性が示唆される。

「元キャバ嬢→スターレスラー」人気のウラには意外な“女性ファン”の存在あり? 記憶に甦るクラッシュ・ギャルズら「全女」全盛期のリング風景

「趣味人の書店」として知られる東京・秋葉原の書泉ブックタワー。アイドル写真集やプロレス・格闘技関連書籍の売り上げでは日本屈指の売り上げを誇る「オタクの聖地」で、去る8月下旬に開催されたイベントが、出版業界でちょっとした話題になっている。

「少なくとも、ここ5~6年におけるプロスポーツ選手の1日の書籍売り上げとしては、1番の数字です」

 そう語るのは、書泉ブックタワーの書店員である。記録を打ち立てたのは女子プロレスラーのジュリア(Giulia、30歳)だ。

 女子プロレス最大手「スターダム」の看板選手だったジュリアは今年4月、同団体を退団。その後、ロッシー小川氏が旗揚げした新団体「マリーゴールド」に参加。そして既定路線だった今秋の米国WWE移籍を前に、これまでのキャリアを総括する自伝を上梓した。

 8月25日に同店で開催された新刊記念イベントで、『My Dream ジュリア 自叙伝』(ホーム社)が808冊の売り上げを記録。複数冊の購入者が多かった関係で実際の来場者数は460人程度とのことだが、それでもかなりの動員であることは間違いない。同書はいわゆるブックライターなしの本人による執筆というから、これもプロレスラーの書籍としては異例である。

 イタリア人の父と日本人の母の間に生まれ、キャバクラ嬢やイタリア料理店店長といった異色の経歴を持つジュリアだが、その人気の源泉を読み解くカギとなるのが「女性ファン」の存在だ。

 近年の女子プロレスを支えているのは主に40代以上の男性ファンだが、ジュリアの新刊イベントに集まったファンを観察すると、全体の20~25%が10~30代の若い女性だった。トップクラスの人気を誇る選手でも「ファンはほぼ男性」が当たり前の現在の女子プロレス界において、この女性ファン比率は注目に値する。

 かつて、日本の女子プロレス会場が10代の少女たちによって席巻された時代があった。

“全女”(全日本女子プロレス)のマッハ文朱、ビューティ・ペア(ジャッキー佐藤、マキ上田)らによって開拓された女性ファンの総数は、1984年に結成されたクラッシュ・ギャルズ(長与千種、ライオネス飛鳥)の登場によってピークを迎える。

 当時、会場を埋め尽くしたファンの9割以上は10~20代の女性だった。

 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞(1991年)した『プロレス少女伝説』の冒頭で、著者の井田真木子氏(故人)は、「女子プロレスに何の関心もなかった自分」が業界の取材を開始するきっかけとなった「あるできごと」について書いている。

 缶ビールを片手に試合を観戦しながら、ときに卑猥な野次を飛ばす中年男性ファンに、渾身の足踏みと「カエレコール」をぶつけ始めた少女たちの一群。リングの外に渦巻いていたその異様な熱量を目の当たりにした井田氏は、やがて次のような理解に到達した。

<プロレスをすることも、また、観戦に熱中することも、彼女たちにとって同質の体験なのだろうと、私は思った。観客席とリングは、あくまでも地続きなのだ。観客は、もう一人の自分の姿をリングに見て熱狂した。

 それだけに、彼女たちは、自分とリングの一体感に水を差すような異物を徹底して嫌った。少しでも異質な観戦方法をとる観客や、自分たちと世代の違う観客、そして、どんな世代であれ男性は排除された。>(『プロレス少女伝説』)

 黄金時代を牽引したクラッシュ・ギャルズは80年代にいったん解散した。

 女子プロレスラーが、同時代を生きる女性たちの生きざまを映し出す「鏡」のような存在であった時代は、遠い過去のものとなった感がある。それでも、肉体美と言葉を併せ持つジュリアの内面には、かつてローティーンの少女たちを熱狂させた「闘う女」の普遍的エッセンスが感じられる。

 まだキャバクラ嬢だった時代、後楽園ホールで女子プロレスの試合を観戦したジュリアは、男性客で埋め尽くされた会場でひとり「違和感」を覚える。後方に陣取ったスーツ姿のサラリーマン風の男性ファンが性的な言葉を口にした瞬間、夜の店では聞き慣れているはずの下品な冗談に、ジュリアはなぜか怒りの感情を抱くのだ。

<私が最初に見た、マットでやる女子プロレスを観戦したときの嫌悪感と同じだ。女子選手をストリップでも見るような感じでニヤニヤ見つめている、この感じ。>(『My Dream ジュリア 自叙伝』)

 この試合を観戦した日から間もなく、特に格闘技の経験もなかったジュリアは自らリングに上がることを決意し、プロデビューを果たす。

 40年前、井田氏が全女の会場で見た、女性の側からのレジスタンスがこの世界を目指した「原点」となったとすれば、ジュリアの闘いがなぜ女性ファンに「届く」のか、納得がいくような気がする。

 プロレスにおける「時代性」は、リングの上より先に、観客席に現れる。

「お騒がせ女」と呼ばれ、女子プロレス界の紊乱者であり続けたジュリアの自伝には、生い立ちとともに「時代」との格闘が描かれている。その評価はすべて、いまを生きるファンに委ねられていると言えよう。