【ボートレース】山崎小葉音「親が選手だったので軽い気持ちで選手に…親のすごさも分かっていなかった」
山崎小葉音は両親がボートレーサーである影響を受け、軽い気持ちで選手になることを決意。初めは両親が反対していたが、自分の頑張り次第で結果が出せることを実感し、プレッシャーも感じなくなった。
子供の頃からレース場に行っていた山崎小葉音は、両親の活躍を理解し始め、自身も選手になってから親の素晴らしさを実感し始めた。家族の関係は友達のようであり、両親ともレースに関するアドバイスはほとんど受けないという。
山崎小葉音は、お母さんに似てきたと言われることが多くなっており、お父さんとは普通の親子関係であり、智也さんは中学生の頃に一緒にゲームをするなど、普通のお父さんとして接している。
【女子ボートレーサー・インタビュー 山崎小葉音(23=群馬)前編】
女子ボートレーサーの横顔に迫るインタビュー企画。父はSG・11Vの艇界の貴公子・山崎智也さん、母はSG2優出G1・2Vの実績を持つ横西奏恵さんという家系で育った山崎小葉音がボートレーサーを志した経緯を明かした。
――小葉音(こはね)という名前は珍しい
山崎 覚えやすくてかわいい名前ってことで付けてもらいました。気に入ってます。
――選手になったきっかけは
山崎 親が選手だったので軽い気持ちで選手になろうと思いました。小学校高学年の時です。高1の時に2回目で受かりました。中学はバドミントン部で高校は帰宅部でした。
――選手になりたいと伝えた時の両親の反応は
山崎 最初は2人とも反対してましたね。でも、選手になって良かったです。自分の頑張り次第で、どうにでも結果が出るのがいいですね。
――2世レーサーとして注目。プレッシャーは
山崎 最初は結構ありました。でも、考えないようにしていました。今は全くないです。
――智也さんはSG・11V、G1・31V。奏恵さんはSG2優出G1・2Vという実績
山崎 子供の頃はSGとかG1とか分かってなかったんで、親のすごさも分かっていなかった。優勝するのは当たり前だと思って選手になってしまいました。軽い気持ちで選手になって自分もすぐに優勝できるだろうと…。自分が選手になってから親のすごさを実感しました。
――子供の頃にレース場にも行っていた
山崎 応援に行ったり迎えに行ってましたね。お父さんが初めて賞金王を取った2012年12月の住之江グランプリも行ってました。全然、訳分からずに見てました。お母さんがすごく喜んでいて、ワ~って一緒に喜びました。私はすごいな~ってくらいでしたけど。
――お母さんの奏恵さんはどんな存在
山崎 友達みたいな感じです。休みの日はよく遊びに連れて行ってくれてました。今も2人でよく遊びますよ。
――子供の頃は両親が遠征で家にいないことも多かった
山崎 おじいちゃん、おばあちゃんがすごく愛情をもって育ててくれたので、お母さんはいないものと思ってました。小さい頃にお母さんがレースから帰ってきた時に知らない人と思っておばあちゃんに抱き付いて泣いていたみたいです(笑い)
――お母さんに顔が似てきた
山崎 大人になってからはよく言われます。顔も声も似てきたねって。
――お父さんの智也さんはどんな存在
山崎 普通のお父さんです。中学生の頃は3人でよくゲームをしてました。PSPのモンハンとか通信して遊んでました。2人ともレースに関しては何も言ってこないです。師匠や先輩に聞けって感じです。選手同士の会話もないですし、普通の親子って感じです。