反則級のエグさ…アルゼンチン代表、歴代ストライカーの系譜(6)かわいいのに…。不遇の逸材、”過小評価”だった?

AI要約

ハビエル・サビオラはバルセロナでの大ブレイク後、レンタル移籍を経てセビージャでUEFAカップ優勝に貢献し、初のワールドカップ出場を果たした。

2006年のドイツワールドカップでは3試合に出場し、1得点1アシストを記録したが、準々決勝での出番はなかった。

しかし、負傷やプレーの低迷に悩まされ、2007年以降はアルゼンチン代表を離れることとなった。

反則級のエグさ…アルゼンチン代表、歴代ストライカーの系譜(6)かわいいのに…。不遇の逸材、”過小評価”だった?

 アルゼンチンは歴史的に優秀なFWが輩出されることで知られる。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシは別格として、他にも各世代に傑出したゴールハンターたちがいた。時代の移り変わりとともに、アルビセレステス(白と空色)の魂はどのように受け継がれてきたのか。4年に一度のワールドカップを起点に、アルゼンチン代表で活躍したストライカーの系譜を振り返る。

ハビエル・サビオラ

生年月日:1981年12月11日

個人成績(2006):3試合出場/1得点1アシスト

バルセロナ移籍1年目の2001/02シーズン、リーグ戦17得点を挙げて大ブレイクを果たした。しかし、経験重視のマルセロ・ビエルサ監督が35歳の大ベテラン、カニーヒアをメンバーに選んだため、2002年の日韓ワールドカップ出場は叶わなかった。

ただ、スター選手の加入によってバルセロナでの活躍は長続きせず、2004年夏からは2シーズン連続でレンタル生活を送ることに。それでも2005/06シーズンは期限付き移籍先のセビージャでUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)優勝に貢献し、アルゼンチン代表として初めてのワールドカップ出場も果たした。

2006年ドイツワールドカップでは、主にクレスポとの2トップで起用され、3試合出場1得点1アシストという成績だった。アルゼンチン代表は準々決勝でドイツ代表に敗れたが、その試合ではサビオラに出番が訪れることはなかった。

2007年のレアル・マドリード移籍以降は度重なる負傷に悩まされ、プレーも低迷。アルゼンチン代表招集も2007年10月が最後だった。