反則級のエグさ…アルゼンチン代表、歴代ストライカーの系譜(3)すごすぎた…! 世界最強の男、その驚異の実力は?

AI要約
アルゼンチン代表の歴史的なFWの1人、ガブリエル・バティストゥータのキャリアを振り返る。彼は1990年代に勝負強さを発揮し、数々の大会でゴールを決めた。バティストゥータは1994年のワールドカップでハットトリックを達成し、1998年大会でも活躍。アルゼンチン代表の中心選手として活躍した。しかし、2002年のワールドカップで初めてのグループリーグ敗退を経験し、代表引退を選択。通算78試合56得点の記録を残した。
反則級のエグさ…アルゼンチン代表、歴代ストライカーの系譜(3)すごすぎた…! 世界最強の男、その驚異の実力は?

 アルゼンチンは歴史的に優秀なFWが輩出されることで知られる。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシは別格として、他にも各世代に傑出したゴールハンターたちがいた。時代の移り変わりとともに、アルビセレステス(白と空色)の魂はどのように受け継がれてきたのか。4年に一度のワールドカップを起点に、アルゼンチン代表で活躍したストライカーの系譜を振り返る。

ガブリエル・バティストゥータ

生年月日:1969年2月1日

個人成績(1994):4試合出場/4得点1アシスト

個人成績(1998):5試合出場/5得点0アシスト

個人成績(2002):3試合出場/1得点0アシスト

 1991年と1993年にアルゼンチン代表のコパ・アメリカ連覇に大きく貢献し、1994年のアメリカワールドカップでもグループリーグ初戦のギリシャ代表戦でハットトリックを達成するなど、大舞台で数々のゴールを決めてきた。類い稀な勝負強さを備えた、1990年代のサッカー界をけん引したストライカーである。

 自身2度のワールドカップとなった1998年のフランス大会では、グループリーグ初戦の日本代表戦で決勝ゴールを挙げてチームを勝利に導き、続く第2戦では2大会連続のハットトリックを達成。アルゼンチン代表はベスト8に終わったが、個人としては鮮烈な活躍を披露した。

 ローマ時代の2000/01シーズンには、中田英寿らとともにセリエA優勝の立役者に。ところが2002年の日韓ワールドカップではエースとして期待されながら、バティストゥータにとって初めてグループリーグ敗退となり、代表引退を表明。それでもアルゼンチン代表では通算78試合56得点という驚異的な成績を残した。