古賀紗理那が「手のひら1つ分、高く跳べるようになった」NEC指導者が明かす壮絶トレ

AI要約

バレーボール女子日本代表の古賀紗理那がパリ五輪を最後に引退し、会見で涙なく笑顔で20年の競技人生に区切りをつけた。

古賀は3年間、ハイパフォーマンスディレクターの指導を受けながら努力を重ね、成長を遂げた。

地道なトレーニングの成果をネーションズリーグでの銀メダル獲得やパリ五輪での活躍で示した。

古賀紗理那が「手のひら1つ分、高く跳べるようになった」NEC指導者が明かす壮絶トレ

 パリ五輪を最後に引退したバレーボール女子日本代表の古賀紗理那(28)=NEC=が16日、都内で会見を開いた。夫・西田有志(24)=大阪ブルテオン=が見守る中、涙はなく「後悔はない」と笑顔で20年の競技人生に区切りをつけた。今後もバレーに関わる希望を持ち、家庭では「お世話を頑張る」と西田をサポートする。

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 NECでハイパフォーマンスディレクターとして約3年前から古賀に体の動かし方を指導してきた里大輔氏(38)が、努力の舞台裏を語った。

 古賀は、持ち前の滞空時間が長いスパイクで日本をけん引してきた。「もっとうまくなりたい」―。この一心で3年間駆け抜けてきた。里氏は「成長のために時間も労力もいとわない。地獄のトレーニングを頭から湯気が出るぐらい、よく考えて高い質でやってくれた」と振り返る。

 世界のブロックの質が上がり、より高い打点から攻撃する技術が求められた。身長180センチの古賀はスパイクの助走開始時の体勢から見直した。「ジャンプを11~12項目の段階に細分化し、1つずつ改善。助走をマスターするのに1年半はかかった」と里氏。助走速度を上げるために8段階の走力トレにも励んだ。基本は10メートル強の距離を6本3セット。跳躍を支える体幹づくりも並行して行い、腹筋は約30種類で計600~800回にも上った。「スパイク時、手のひら1つ分、高く跳べるようになった」と里氏は証言する。

 ネーションズリーグで日本初の銀メダル獲得。パリ五輪では全3試合でチーム最多得点の活躍。地道な努力の成果を結果につなげて見せた。