男子バレー“笑顔の守護神”に壮絶な過去「あの頃は、ほぼご飯食べてなかった」リベロ山本智大(29歳)がどん底から日本代表のチャンスを掴むまで

AI要約

バレーボール男子日本代表のリベロ山本智大のキャリアを振り返る。順風満帆ではなかった過去やメダルに向けた懸命な戦いを紹介。

山本智大のバレー人生の挫折や苦労を明らかにする。小学生からリベロに転向し、Vリーグでの逆境を経験する。

経験豊富な山本智大が5度目の五輪に挑む。メダル獲得に向けて、チームへの貢献が期待される。

男子バレー“笑顔の守護神”に壮絶な過去「あの頃は、ほぼご飯食べてなかった」リベロ山本智大(29歳)がどん底から日本代表のチャンスを掴むまで

 8月2日早朝4時、バレーボール男子日本代表は決勝トーナメント進出を懸けて予選ラウンド・アメリカ戦に挑む。52年ぶりのメダルに向けた重要な一戦を前に、これまで何度もチームを救ってきたリベロ山本智大のキャリアを振り返る。決して順風満帆ではなかったキャリア、そしてメンバー外となった同じリベロの盟友・小川智大への想いを訊いた。【NumberWebノンフィクション全2回】

 ガムシャラにチャンスをつかみ這い上がってきたリベロが、2度目の五輪で躍動している。日本代表の守護神、山本智大(大阪ブルテオン)である。

 7月31日に行われたパリ五輪予選ラウンド第2戦・アルゼンチン戦では、安定したサーブレシーブと好守備で得点チャンスにつなげた。ブロックフォローでも、コート後方に落ちそうなボールに懸命に食らいついてフォローするなど幾度もスパイカーを救った。どちらに転んでもおかしくない緊迫した試合を勝利に導いた一人だ。

 どんな舞台でもいつも楽しそうにプレーする山本だが、そのバレー人生は順風満帆だったわけではない。

 以前、山本に挫折の経験について聞いた時、こう答えた。

「“ない”って言いたいですけど……FC東京での1年ですかね。結構つらかったので」

 北海道江別市で生まれ育った山本は、小学1年生でバレーを始めた。小学校では主にレシーバー、中学ではスパイカーだったが、中学3年の12月に行われたJOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)で北海道選抜に選ばれたのを機に、リベロ転向を決めた。

「自分の身長(当時165cm)や、上でやっていくために何が必要かを考えたら、リベロしかないなと思いました」

 ただ当時考えていた「上」とは、あくまで高校や大学のこと。

「北海道で1位になれればいいかなぐらいで、日本代表とか、そんな大きな夢はなかったんです」

 とわの森三愛高校では全国大会に出場して活躍。大学は関東大学リーグの名門・日本体育大学に進み、1年時からレギュラーをつかんだ。大学リーグでリベロ賞を獲得したり、世代別の代表候補にも選ばれるようになり、「Vリーグでやれる」という自信と野心が膨らんでいった。

 ところが、上級生になり同学年の選手たちがVリーグのチームから内定をもらい始めても、山本の元には誘いが届かなかった。日体大の同級生の峯村雄大が、東レアローズに入団が決まったと伝えると、「いいなー!」と心の底からうらやましがられたと語っていた。