浦和サポーターと「口論は大事」 38歳FWが見た熱狂的な姿と温かい秘話「深い絆になった」

AI要約

J1浦和レッズのFW興梠慎三が引退を表明した記者会見を実施した。

宮崎県出身の興梠は、鹿島アントラーズでの活躍から浦和へ移籍し、クラブ史上最多ゴール記録を更新した。

興梠はサポーターや若手選手との関係について語り、浦和のサポーターが厳しいが熱狂的であることを強調した。

興梠は17年のACL優勝後、浦和のファンに牛丼をおごったエピソードで知られる。

若手選手に対し、サポーターとの触れ合いが大事だとアドバイスし、口論が深い絆を生むと示唆した。

浦和のサポーターは活躍を見極めてから応援チャントを作る伝統的なスタイルを持ち、興梠も自身のチャントができたことを喜んでいる。

浦和サポーターと「口論は大事」 38歳FWが見た熱狂的な姿と温かい秘話「深い絆になった」

 J1浦和レッズのFW興梠慎三は7月31日に埼玉スタジアムで記者会見を実施し、今季限りでの引退を表明した。熱狂的で知られる浦和サポーターとの関係について、口論になることがあっても「それはチームにとってすごく大事なことだと思う」と話した。

 宮崎県出身の興梠は、鵬翔高校から2005年に鹿島アントラーズ入りすると国内三冠の獲得に貢献した。13年に浦和へ移籍すると不動のエースとして君臨し、クラブのJ1最多ゴール記録を塗り替えた。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の2回優勝の他、ルヴァンカップと天皇杯優勝に貢献。リーグ戦の年間制覇は果たしていないが、15年と16年にステージ優勝、16年は年間最多勝ち点の獲得に大きく貢献している。また、2022年は期限付き移籍して北海道コンサドーレでプレーした。個人ではACLの日本人最多ゴールをマークしている。

 日本代表では16試合の出場経験を持ち、2016年のリオデジャネイロ五輪はオーバーエイジとして選出されプレーした。そして、38歳の誕生日を迎えるこの日に引退を表明した。そのキャリアのなかで、興梠はあまりピッチ外で話題になるタイプではなかったが、最も微笑ましいエピソードとして知られるのは17年のACL優勝を果たした夜に浦和の街へ繰り出し、さいたま市内の浦和中心街にある吉野家で居合わせた浦和サポーター全員に牛丼をおごったというものだ。

 この件について興梠は「吉野家だけおごったわけじゃいですけど、行くお店、行くお店、僕が払ったんですけどなぜかそこだけ取り上げられて」と苦笑いした。一方で、結果が出なければ厳しい反応を返すこともある浦和のサポーターと向き合ってきた。

 興梠はこうした点について「サポーターは皆さんが思っている以上に本当に選手たちを後押ししてくれます。特に浦和のサポーターの皆さんはどんな状況でも全力で応援していただき、不甲斐ない状況でも全力で応援してくださる素晴らしい人たちです。だから選手たちはもっと頑張らないといけないし、タイトルとしてサポーターの皆さんにプレゼントするのが大前提だと思います」と話したうえで、自身のスタンスと若手選手たちへのメッセージも語った。

「もちろん口論することはあるかもしれないですけど、それはチームにとってすごく大事なことだと思うし、お互いが一生懸命やっているからこそだと思う。今の若い選手はあまりサポーターと話す機会がないと思いますけど、そういう触れ合いは大事だと思うので、若い選手にはもっと色々なところで触れあって。口論になってもいいと思います。喧嘩して自分の意見をぶつけて、こうしてほしいと言ってきました。それで深い絆になったので、もっと触れ合ってほしいと思います」

 浦和のサポーターは、例えば新加入選手の応援チャントを用意して待っているようなスタイルではなく、活躍をしてから作られてスタジアムで歌われるという伝統を持つ。興梠もまた「鹿島から浦和に来るときも、そう簡単に受け入れてくれない、応援されないと聞かされていた」と話す。

 そして「どうにかして心を掴んで認めてもらうんだという気持ちで来ました。認めてもらったかどうか分からないですけど、自分のチャントができた時はすごく嬉しかったのを覚えています。そういう厳しいチームに来たこと、そこでたくさんのゴールを決めたことを嬉しく思います。本当にこのビッグクラブに来て良かったなと思います」と話した。

 現在の興梠のチャントには「浦和のエース」という言葉もある。それこそが、良い時もそうでない時も向かい合ってきたサポーターからの答えだろう。