京都国際「何の心配もない」快進撃 22年夏甲子園を知る主将・藤本陽毅がキーマン/京都

AI要約

京都国際が京都大会決勝で14-3で京都外大西を破り甲子園出場を決めた。主将の藤本陽毅が活躍し、チームを導いた。

藤本はウイルス性肝炎と合併症を患い、苦難を乗り越えてチームを支え、主将としての役割を果たしていた。ナインも彼の復帰を心待ちにしていた。

藤本の熱意とチーム全体の努力が実を結び、京都国際は練習量を増やし、勝利を重ねて甲子園出場を勝ち取った。

<高校野球京都大会:京都国際14-3京都外大西>◇28日◇決勝◇わかさスタジアム京都

 苦難を乗り越えた主将が、自らのバットで突き放し、チームを甲子園に導いた。京都国際の4番に座る主将の藤本陽毅(はるき)内野手(3年)は決勝で4打数3安打5打点で大勝に大いに貢献した。「うれしいよりも、ほっとした気持ち。1年夏も、3年春も自分が主軸となって決められなかった。自分が主軸となってえ、甲子園を決めて達成できてよかった」。

 1年夏から遊撃でメンバー入りし、22年の夏の甲子園に出場。昨夏の新チーム発足後、小牧憲継監督(41)の提案でエース左腕の中崎琉生(るい)投手(3年)とダブル主将体制で始動した。藤本は直後にどん底を経験。ウイルス性肝炎と合併症を発症し、地元福岡で療養生活を送ることになった。昨秋に帰郷し、「藤本のために」とナインは口をそろえた。センバツがかかった近畿大会では、ボールボーイとして戦況を見つめ、センバツ当確直後、目には涙があふれていた。

 晴れてセンバツ出場後も、青森山田にサヨナラ負けを喫すると、チームの管理とプレッシャーに押された中崎は主将に名乗り上げた藤本へ託した。3年生内のLINE(ライン)のグループ名は「藤本世代」に改め、春から再始動した。

 春は近畿王者に輝くと、夏の大会前、指揮官はナインの前で、「何も言わんから」と宣言。初戦後の取材では「やることがわかっている子たちなので、何の心配もない」と明かした。

 優勝メンバーの1人は藤本をこう語る。「藤本は周りを見ながら、自分の練習ができる」。視野の広さを生かしながら層練習に力を入れ、「一番練習するようになったし、スタメン全員も練習量が多い」と分析。練習からチーム作りを徹底し、歴代でも主力をはじめ指折りの練習量を誇るチームに生まれ変わった。中でも、藤本は小学1年から中学3年間まで毎朝欠かさず朝練を行う練習の虫だった背景も再起につながった。

 京都大会決勝当日、待ち受けていたのは、藤本家にとってももう1つの甲子園だった。次男である陽毅内野手の3歳下の中学3年生の弟・玄岐(げんき)さんが所属する福岡のフレッシュリーグの筥崎(はこざき)ジンジャーズが九州王座を勝ち取り、9月に甲子園で行うエイジェックカップ出場を勝ち取った。目を赤らめながら「神様からのプレゼントです」と西京極のスタンドでは父浩一さん(47)は喜びに浸った。

 中崎も感謝はつきない。「藤本がキャプテンになってから、公式戦は(13連勝で)無敗。グラウンドでの覇気のあるプレーが、みんなに勇気を与えている。(主将が外れて)自分は周りを見れるようになって、1、2年生の力があっての優勝」。

 何度振り出しに戻ってもグラウンドへ向かう姿勢をやめなかった京都国際。1年夏に甲子園の景色を見つめた男が、チームを束ねた最後の夏に聖地へ帰還する。