元暴走王・小川直也氏 橋本真也さん命日にお墓参り「〝たられば〟は言いたくないけれど…」

AI要約

バルセロナ五輪柔道銀メダルで〝元暴走王〟小川直也氏(56)が、宿敵で盟友だった〝破壊王〟こと橋本真也さんのお墓参りを行った。

7月11日は橋本さんの19回目の命日。小川氏はこの日、3時間かけて岐阜・土岐市にある橋本さんのお墓を訪れた。練習中も食べていたという、橋本さんが大好きだったポテトチップスとコーラをお供えし、さらにプロレスイベント「ハッスル」時代に着ていたタンクトップ姿で、橋本さんが入場に着けていたハチマキが飾られた墓前に手を合わせた。

お墓の草むしりもしたという小川氏は、2007年に2人の師匠、故アントニオ猪木さんが旗揚げしたIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)に参戦を決めた際にも、橋本さんの墓前を訪れて報告していた。それ以来命日に限らず、ことあるごとに「破壊王は寂しがり屋だから」と墓所を訪れてきた。

小川氏と橋本さんは、小川氏のプロデビュー戦(1997年4月12日、新日本・東京ドーム大会)で初対決。2000年4月7日の「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退スペシャル」まで3年にわたる大抗争を展開した。その後は一転共闘して、タッグチーム「OH砲」を結成。ゼロワンやハッスルのリングで暴れまわったが、橋本さんは05年に40歳の若さで死去し、OH砲は永久に解散となった。小川氏も18年6月に引退を表明し、プロレス・格闘技界から去っている。

元暴走王・小川直也氏 橋本真也さん命日にお墓参り「〝たられば〟は言いたくないけれど…」

 バルセロナ五輪柔道銀メダルで〝元暴走王〟小川直也氏(56)が、宿敵で盟友だった〝破壊王〟こと橋本真也さんのお墓参りを行った。

 7月11日は橋本さんの19回目の命日。小川氏はこの日、3時間かけて岐阜・土岐市にある橋本さんのお墓を訪れた。練習中も食べていたという、橋本さんが大好きだったポテトチップスとコーラをお供えし、さらにプロレスイベント「ハッスル」時代に着ていたタンクトップ姿で、橋本さんが入場に着けていたハチマキが飾られた墓前に手を合わせた。

 お墓の草むしりもしたという小川氏は、2007年に2人の師匠、故アントニオ猪木さんが旗揚げしたIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)に参戦を決めた際にも、橋本さんの墓前を訪れて報告していた。それ以来命日に限らず、ことあるごとに「破壊王は寂しがり屋だから」と墓所を訪れてきた。

 また、小川氏がちょうどお墓参りしていた頃、同氏の主宰する神奈川・茅ヶ崎市の「小川道場」を、橋本さんのファンが訪ねてきたという。変わらぬ破壊王人気に、小川氏は「亡くなって19年か…。早いよね。彼には本当に感謝しかないんだ。〝たられば〟は言いたくないけれど、橋本真也が生きていれば、今のプロレス界は間違いなく変わっていたと思う。まあ、最初に引退に追い込んで、新日本(プロレス)をやめる原因をつくったのはオレなんだけど…」。宿敵として盟友として、リングでプロレスを叩き込んでくれた破壊王をしのんだ。

 小川氏と橋本さんは、小川氏のプロデビュー戦(1997年4月12日、新日本・東京ドーム大会)で初対決。2000年4月7日の「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退スペシャル」まで3年にわたる大抗争を展開した。その後は一転共闘して、タッグチーム「OH砲」を結成。ゼロワンやハッスルのリングで暴れまわったが、橋本さんは05年に40歳の若さで死去し、OH砲は永久に解散となった。小川氏も18年6月に引退を表明し、プロレス・格闘技界から去っている。