【ブル中野連載#16】大仁田厚さん人気で集まるFMWのお客さんを全部取ってやる

AI要約

1992年はローラ・ゴンザレスに勝ってCMLL女子王座の初代チャンピオンに輝いた年だった。

女子プロ初の団体対抗戦としてFMWとの戦いに挑み、勝利を収めた。

FMWの大会でマイクを持ち、全女への挑戦をアピールし、話題になった。

【ブル中野連載#16】大仁田厚さん人気で集まるFMWのお客さんを全部取ってやる

 【ブル中野・告白(16)】1992年は、本当にいろいろなことがありました。6月にはメキシコのアレナ・メヒコで、ローラ・ゴンザレスに勝ってCMLL女子王座の初代チャンピオンに。メキシコのタイトルにあまり欲はなかったのですが、(91年に)CMLLができたばかりで、そこに呼ばれてのタイトルマッチでした。自分が勝つと思っていたし、自分が取った方がベルトの価値が上がると思い、臨んだ一戦でした。

(左から)北斗とブルはFМW出場が決まった(92年8月) 7月15日の全女・大田区体育館大会に、FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が乱入したことから、女子プロ初の団体対抗戦がスタートします。ここから9月19日のFMW横浜スタジアム大会に北斗晶と乗り込み、工藤めぐみ&コンバット豊田と対戦することになりました。

 あのとき、私の中では対抗戦というより、FMWだったんですよ。大仁田厚さんの人気がものすごいときで、スタジアムで興行をやるのは大仁田さんしかできない時代です。そのお客さんを全部取ってやろうと、目的はそれしかなかったです。

 だから勝ったとか、負けたとか試合内容がどうとかじゃないんです。それに工藤はもともと全女にいた選手だし、コンバットも極悪同盟にいた後輩です。彼女たちに何ができるかっていうのは全部わかっているし、どういう試合になるかも大体把握していて、終わった後のマイクアピールが重要なポイントでした。

 実は、FMWの人からは事前に「絶対にマイクアピールはしないでください」と言われていました。この日のメインは大仁田さんとタイガー・ジェット・シンのノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破デスマッチ。FMWでは大仁田さんが最後にマイクをやるのが不文律で他の選手、ましてや他団体の選手がマイクをやることは許されていなかったんです。

 だけどウチのセコンドには「試合が終わった後、放送席から絶対マイクを持ってこい。取ってでもいいから絶対持ってこいよ」って指示を出していました。試合は私が工藤から取って全女が勝利。試合後は「ブル中野と北斗晶の試合をまだまだ見たかったら全女に来い!」とマイクアピールをしました。この前、大仁田さんとトークショーをやったときに、その話をして「すみません、あのときにやってしまって」と謝ったら、本人は覚えてなかったですね(笑い)。覚えてないふりをしてくれたのかわからないですけど…。

 ちなみにマイクをやった私は大丈夫だったのですが、その後のFMWの大会で(全女広報の)ロッシー小川がレスラーに“監禁”されて、なかなか解放されなかったということがありました(笑い)。この後、私の分岐点になるアジャコングとの試合もありましたね。