大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」

AI要約

大谷翔平は楽天ジュニアのセレクションで落とされた経験を語り、仙台育英のエースである渡辺郁也との対談が行われる。

渡辺は高校卒業後、大学進学や営業の仕事を経て現在は実家の自動車整備工場で働いている。

自らの代として認知されたい渡辺は、普段は謙虚で地元に愛される存在として生活している。

大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」

 大谷翔平はこんな発言をしていた。「小学校のときには楽天ジュニアのセレクションで落とされていますし、僕よりすごいと思う選手は東北にもたくさんいました」(Number誌1000号)。あの大谷が“落選した”楽天ジュニアで中心人物だった男が、のちに仙台育英のエースとなる渡辺郁也である。30歳になった天才は今――仙台を訪ねた。【全4回の1回目/2~4回も公開中】

◆◆◆

 最初、言っている意味がわからなかった。

「私が投げていたんで……」

 渡辺郁也は困惑していた。

 渡辺にインタビューしていたその居酒屋は楽天のホーム球場からほど近く、仙台エリアの野球関係者の御用達店でもあった。

 店主に私が、渡辺は仙台育英の選手だったことを告げると、「誰の代だっけ?」と尋ねてきた。それに対し渡辺は自分が投げていたのでと返したのだ。

 少し間を空けて渡辺が「1個下が上林の代です……」と答えると、店主はようやく納得したようだった。

 上林とは、中日の上林誠知のことである。仙台育英時代は1年秋から4番に座り、うまさも兼ね備えた左のスラッガーとして注目された。高校卒業と同時にドラフト4位でソフトバンクに入団し、5年目には自己最多の22本塁打をマークした。

 渡辺は仙台育英を卒業したあと、東都リーグの強豪・青山学院大に進んだ。大学卒業後は地元の仙台に戻って大手の不動産会社に5年間、保険会社に2年間それぞれ勤め営業に励んだ。その名残なのだろう、渡辺は基本的に自分のことを「私」と言った。

 そして、昨年からは祖父が始めた実家の自動車整備工場で働いている。渡辺を含めて整備士3名の小規模な工場だ。

 渡辺は「営業も疲れちゃったんですよね……」と語る。

「営業をやってると(経歴は)すごい武器になるからって言われるんですけど、それができなくて。育英のエースだったと言っても、誰もわからないんです。そんなに周知されていない代なんで。だから、いちおう大谷世代です、って言うんですけど。『誰の代? 』って聞かれても、私、投げてたんで。俺の代だし、って。上林の名前とかを出さないとわからない。それが嫌で」

 その話を聞き、ようやく理解した。「私が投げていたんで……」というのは「自分の代だ」と言いたかったのだ。