立教大監督を解任→実業団選手に転身、上野裕一郎38歳に聞いた「電撃復帰」の真相「ひらまつ病院が拾ってくれた」「立教大の選手に会うと…」

AI要約

解任された立教大学の陸上競技部男子駅伝チーム監督、上野裕一郎がユニークな指導法で55年ぶりの箱根駅伝出場を果たし、陸上を再開する経緯。

ハローワークに通いながら陸上関係者からの連絡を待ち、ひらまつ病院の入部打診に応じる決意を固めた経緯。

病院陸上部でのプレイヤーとしての活動に意欲を見せる上野裕一郎の姿勢と、チームへの貢献意欲。

立教大監督を解任→実業団選手に転身、上野裕一郎38歳に聞いた「電撃復帰」の真相「ひらまつ病院が拾ってくれた」「立教大の選手に会うと…」

 昨年10月、立教大学の陸上競技部男子駅伝チーム監督を解任された上野裕一郎。監督自身が走りアドバイスしていくユニークな指導法で同校を55年ぶりの箱根駅伝出場に導いた男は、選手に専念する形でトラックに戻ってきた。異例の復帰までの道のりを聞いた。(全3回の第2回/初回「解任の真相」編はこちら)

 監督を解任された上野裕一郎は、ホテルで数日間、過ごした後、友人宅のマンションに移り、ハローワークに通う日々を送った。

 今は、売り手市場で職を選ばなければ仕事に就くことができる。だが、今ひとつ職探しに集中できなかったのは、陸上関係者から連絡が入っていたからだった。

「やっぱりもう一度陸上をやりたい、陸上をやって失った信頼を取り戻したいという気持ちがありました。だからハローワークで陸上以外の仕事をやると決めきれませんでした。こんな状況でやらせてくれるところがあるのかなって思いながら、相談をもちかけていく中でひらまつ病院を始めとした実業団から奇跡的に声をかけてもらえたんです」

 12月、ひらまつ病院からは入部を打診されたものの、決断できずにいた上野。しかし、1月の箱根駅伝で懸命に前に進み続ける学生たちの走りが目に焼き付き、決意を固めた。正式に加入が発表されたのは1月15日だった。

 ひらまつ病院陸上部は、2011年に設立された。活動場所は、九州の佐賀県小城(おぎ)市で、今年のニューイヤー駅伝は過去最高24位、来年はさらに上位を目指している。部員は22名で、メンバーには、10000m27分44秒74の自己ベストを持つ荻久保寛也、同28分00秒49の栃木渡、マラソンで2時間09分のタイムを持つ福田穣らがいる一方で介護の仕事を行いながらニューイヤー駅伝に出場した選手もいる。選手のレベルにより契約は異なるが、上野の場合、病院での日中の勤務は免除されており、プレイヤーとしての結果を求められている。「(チームの拠点が)九州は初めてだったのですが、どこに行ってでもやりますという覚悟でいました。自分が指導するというのも、あの問題があってすぐに指導なんてできるわけがないと思っていたので、プレイヤーとして求められているならそこで結果を出すしかないと思っていました。『もう38歳でしょ』という声もあると思うんですけど、こんな状態の中、拾っていただいた自分ができることは、チームから求められていることをやり遂げて、結果で恩返しすることです」