「親父でもプロになれるんだから、俺もなれるわ」高校生・山崎福也の宣言に父「ヒドいこと言うな(笑)」…巨人&日本ハムOBの父が語る「親子の物語」

AI要約

小児脳腫瘍の大手術を乗り越え、日大三高で活躍した山崎福也投手。父で元プロ野球選手の章弘さんは福也の才能を感じ取っていた。

福也は兄貴とは異なる持って生まれた才能を持ち、常に練習を怠ることなく真剣に取り組んでいた。父親として育て方に満足していた章弘さんは、一度だけ兄弟に声を荒げたことがあった。

福也はプロ野球選手になることにプレッシャーを感じず、家庭環境からプロ野球選手が簡単になれると思っていた。福也は父と同じ夢を叶え、現在は日本ハムで活躍中である。

「親父でもプロになれるんだから、俺もなれるわ」高校生・山崎福也の宣言に父「ヒドいこと言うな(笑)」…巨人&日本ハムOBの父が語る「親子の物語」

 今季から日本ハムに移籍し活躍中の山崎福也投手。巨人、日本ハムでプレーした元プロ野球選手の父・章弘さんはどのような現役時代を送ってきたのか。父として見せ続けた背中とは? 現在は女子硬式野球チーム「兵庫ブルーサンダーズ」の監督を務める章弘さんに振り返ってもらった。〈全2回の2回目/初回から読む〉

 小児脳腫瘍の大手術を乗り越えた山崎は、夢への階段を駆け上がっていく。日大三高では、2年夏の選手権大会、3年春のセンバツに出場。準優勝を果たしたセンバツでは、エースとしてフル回転するとともに、5番打者として大会タイ記録の13安打を放った。夢はもちろん「プロ野球選手」。指導者としても多くの選手を見てきた章弘さんは、福也の資質を感じ取っていた。

「正直、小さい頃からセンスは感じていました。ボールの握り方、投げ方ひとつにしても姿形から雰囲気がありました。比べるわけではないんですが、兄貴(2歳上の福之さん)の方は真面目で本当に練習するんです。でも福也はそれ以上に、持って生まれた才能があったと思います」

 練習をサボるようなことは一度もなく、反抗期もなかった。章弘さんが声を荒げたのはたった一度だけだという。それは兄弟がまだ小学生の頃のことだった。

「僕が車で帰ってきたら、反対方向から自転車に二人乗りしてフラフラ蛇行運転しているガキが来たんです。『こいつら危ないな。どこのアホか』と思ってパッと見たら、なんのことはない、自分とこの兄弟やった(笑)。思わず窓を開けて『死にたいんか! 』って怒鳴りましたよ。それ以外は怒ったことないですね」

 同じ道を選ぶにあたり、プロ野球選手の「二世」としてプレッシャーも「全く感じてなかったはず」と章弘さんは笑う。その証拠に、日大三高時代の福也はこんな言葉を口にしていたという。

「家で喋っている時に『プロ野球選手って簡単になれるんだな。親父でもなれるんだから、俺もなれるわ』って無邪気に(笑)。普段の僕の生活を見て、そう思ったんですかね。『お前、ヒドいこと言うな』って笑いましたよ」

 その言葉通り福也は進学した明大でも通算20勝を挙げるなど活躍し、2015年にドラフト1位でオリックスに入団。父と同じプロ野球選手の夢を叶えた。とはいえ、お手本となった(? )父が現役でプレーしていたのは福也が生まれる以前のこと。そもそも章弘さんの現役生活はどのようなものだったのか。