彼がいなかったら「中学生で2次方程式が解けなかった」かもしれない…欧州で「黒魔術と噂された」数学者の大発明

AI要約

17歳の天才数学者ガロアが提出した論文が革命を起こし、数学界に大きな影響を与える

数式の発明により方程式の合理的な表記が可能になり、数学研究に変革をもたらす

暗号解読に成功した数学者ヴィエトが数学的手法を用いてスペイン軍の暗号を解読し、フランス軍に勝利をもたらす

彼がいなかったら「中学生で2次方程式が解けなかった」かもしれない…欧州で「黒魔術と噂された」数学者の大発明

激動のフランスに生まれ、激動のなかに散った革命的な数学の天才、エヴァリスト・ガロア(1811~1832)。弱冠17歳、数学に出会って3年の若者が提出した論文が、「革命」と呼ばれ、時代を超えて、いまなお、大きな影響をおよぼしています。

彼が起こした革命とは、いったいどういうことなのでしょうか? 早熟の天才といわれる彼の思考を、平易に解き明かす『はじめてのガロア』から、ガロアの起こした革命のエッセンスを論じます。

16~17世紀の欧州では、カトリックとプロテスタントの対立が激化し、また各国の思惑も複雑にからむ、混沌とした情勢でした。そんな時代に暗号解読に長けた数学者が、ついに「数式」を確立させました。今回は、数式の発明で合理的な表記が可能になった方程式と、その後に訪れる変革を予見させる数学研究について取り上げます。

※この記事は、『はじめてのガロア 数学が苦手でもわかる天才の発想』の内容を再構成・再編集してお届けします。

ブルボン朝の初代王であるアンリ4世はかなりの女好きで、その愛妾は50人を超えていたとも伝えられているが、同時に、賢明で寛容な人物であり、当時の混乱したフランスを落ち着かせるのに努力し、現代でもフランス国民の間でもっとも人気の高い王といわれている。

ちなみにかつては50フラン紙幣でその肖像が採用されていた。なんといっても、1598年のナントの勅令によって、40年にわたって続いた内戦、パリを血の海にしたサン・バルテルミの虐殺で知られる、ユグノー戦争を終息に向かわせた功績が大きい。

そのアンリ4世の治世を法律の専門家として支えた男が、フランソワ・ヴィエトだ。1540年の生まれだから、前回ご紹介した1501年生まれのカルダノより39歳年少ということになる。

国民からは良王と慕われたアンリ4世だが、その治世が安定していたわけではない。とりわけ治世の初期は、アンリ4世を王と認めようとしないカトリック同盟との熾烈(しれつな戦いを強いられた。このカトリック同盟を陰で支援していたのが、フェリペ2世のスペインだった。フェリペ2世は「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインの最盛期を築き上げた王であり、日本から来た天正遣欧少年使節を歓待したのもこの王だ。

ところが、数々の戦場で勝利を獲得してきたフェリペ2世がいかに巧妙な作戦を立てても、フランス軍はつねにその裏をかくように動き、フェリペ2世を翻弄(ほんろう)した。どうやらスペイン軍の暗号が解読されているらしかった。

しかし、人間の力でその暗号を解くことなどできるはずはない、とフェリペ2世は確信していた。そこでフェリペ2世はローマ教皇に書簡を送り、フランス軍は「黒魔術」を用いて暗号を解読している、これは異端であり、厳しく処断してほしいと頼み込んだ。もちろんローマ教皇はまともに相手にしなかった。

スペイン軍の暗号を解読してフランス軍に輝かしい勝利をもたらしたのが、ヴィエトだった。ヴィエトがどのように暗号を解いたのかは明らかになっていないが、数学的な方法を用いたのではないかと考えられている。

ヴィエトが用いたのが、当時一般に行われていた、天才的な洞察によって鍵を探す、というようなものではなかったことはほぼ確かだ。ヴィエトはその死にあたって、暗号解読の秘法を宰相に伝えた。そして宰相はヴィエトの死後も、暗号を解読できたという。その秘法が天才的な洞察ではなく、数学的な方法であったことを示す証拠だ。

ヴィエトの業績は、三角法や代数方程式など多岐にわたる。「ヴィエトの公式」と呼ばれている円周率を求める無限乗積も有名だ。

しかし、数学におけるヴィエトの功績として第一に挙げられるのは、なんと言っても数式の形式を確立したことだろう。ヴィエトの数式は、まだ言葉による数式の尻尾を残していたが、原理的には、現代の数式とまったく同じものだった。