原爆が焼きつけた物理学の「栄光」 オッペンハイマーのマンハッタン計画とアトミックパワー

AI要約

原子核の解明が急ピッチで展開し、量子力学の成功例が出た。湯川秀樹やフェルミが新素粒子を導入し、量子力学が核や素粒子を支配する一般的な原理となる。

核物理は外にも動き出し、星のエネルギーや元素起源、中性子星やブラックホールに関する理論が登場した。

理論物理学者たちが量子論や核物理を駆使して作った理論が、現実には60年代まで待つ必要があった。

原爆が焼きつけた物理学の「栄光」 オッペンハイマーのマンハッタン計画とアトミックパワー

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アインシュタイン、オッペンハイマー、湯川秀樹……20世紀、あまたの巨星たちに導かれ、栄光の時代を謳歌した物理学は、その「帝国」の版図を科学・経済・社会のあらゆるシーンに拡げました。自身第一線で活躍してきた佐藤文隆氏が、帝国の「黄昏」も囁かれる時代の転換期に、物理学の栄光の歴史とあるべき未来を、縦横無尽に語ります。

今回は作品賞ほかアカデミー賞7部門を受賞した映画(クリストファー・ノーラン監督)でも話題のオッペンハイマーと原爆開発について。

(以下は氏の最新刊『物理学の世紀』からの抜粋です。)

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 1930年代後半、原子核の解明は急ピッチで展開した。

 当初、核の問題は量子力学では手に負えないと思われていたが、28年にソ連をでて後にアメリカに落ち着いたジョージ・ガモフらがアルファ崩壊(ヘリウム原子核が放出される放射性崩壊)をトンネル効果で説明したことは、量子力学の成功例であった。フェルミも湯川秀樹も場の量子論の路線を堅持して、新素粒子を導入する道を選んだ。

 そして、これらの成功は、量子力学は核や素粒子をも支配する非常に一般的な原理らしいという確信につながっていった。量子力学と相対論を道具として物質や宇宙を解明していく構図がここにできあがり、量子力学は原子の理論から脱皮した。

 核物理は外に向かっても動き出した。

 星のエネルギーと元素起源が核融合で論じられ、星の終焉の姿としての中性子星やブラックホールに関する理論が39年頃にはすでに全て登場していた。

 ガモフ、ドイツから最終的にアメリカに亡命したハンス・ベーテ、イギリスのラルフ・ファウラー、インド生まれで英、米で活躍したスブラマニヤン・チャンドラセカール、ソ連のレフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ、アメリカのオッペンハイマーといった理論物理学者が最新の量子論や核物理を駆使して机上で作った理論が現実に発見されてくるには、60年代まで待たねばならなかった。