⚾「一歩前へ」貫いた人生 故佐野勝稔さん(浜松リトルシニア監督)球児指導に情熱注ぎ50年

AI要約

元浜松リトルシニアの監督である佐野勝稔さんは、逆境に立ち向かう大切さを子どもたちに伝え続けた情熱的な指導者だった。

厳しいが熱心な指導で知られ、多くの子どもたちを引きつけ、強豪チームへと成長させた。

佐野さんの遺志は息子である大輔さんに引き継がれ、浜松リトルシニアの伝統はこれからも子どもたちに受け継がれていく。

⚾「一歩前へ」貫いた人生 故佐野勝稔さん(浜松リトルシニア監督)球児指導に情熱注ぎ50年

 苦しい時こそ「一歩前へ」-。先月、79歳で亡くなった中学生の硬式野球チーム「浜松リトルシニア」(浜松市)の元監督、佐野勝稔さんの口癖だった。白球を追いかける子どもたちに、逆境に立ち向かう大切さを説き続けた約50年間の指導者生活。昨年1月に監督を退くまで、情熱が消えることはなかった。

 社会人野球・河合楽器から1970年にドラフト指名を受けプロ野球の近鉄に入団。4年間プレーして現役を引退し、地元の神奈川県藤沢市へ戻るつもりだった。近鉄の本拠地だった大阪からの帰路、世話になった河合楽器の当時の社長へあいさつに行ったことが自身の運命を変えた。「今、浜松には小中学生向けの硬式野球チームがない。子どもたちが硬式の野球に打ち込める環境をつくってみないか」。その言葉に触発され、野球の指導、少年チームの立ち上げに携わった。

 厳しくも熱心な指導で有名だった佐野さん。グラウンドではほとんど座ることなく選手に寄り添い、身ぶりを交え技術を教え込んだ。自らボールを投げ、ノックを打って選手の心身を鍛え上げる情熱や愛情は人を引きつけ、多くの子どもたちが集った。チームは全国的な強豪へと成長。DeNA・鈴木尚典打撃コーチや楽天・後藤武敏打撃コーチら数々の名選手も輩出した。

 通夜の前日にシニアのグラウンドで営まれたお別れ会ではひつぎと遺影をホームベース付近まで運び入れ、リトル所属の小学生を含む選手や父母、OBらおよそ300人が参列。公式戦の合間を縫って後藤打撃コーチも駆けつけ、「厳しかったが、だからこそ強くなることができた。自分の原点であり、監督が教えてくださったから今の野球人生がある」と涙を流した。

 後を受けシニアの監督になったのは長男の大輔さん(48)。病床で懸命に闘う父の姿に改めて偉大さを実感したという。「(ベッドで)苦しい時に大声を張り上げて前に進もうとした。大切にしていた言葉を本人が体現し、すごい人なんだと思った」。一歩踏み出す勇気を持つことは浜松リトルシニアの伝統だ。佐野さんの遺志は大輔さんが引き継ぎ、これからも子どもたちに受け継がれていく。