ラブミーチャン死す、Dr.コパさん「たくさんの思い出ありがとう」 笠松競馬所属2度の地方代表馬

AI要約

名牝ラブミーチャンが、笠松競馬の所属で亡くなったことが報じられた。

ラブミーチャンは2度のNARグランプリ年度代表馬に輝いた名馬で、笠松競馬の象徴的存在としても知られていた。

引退後は繁殖牝馬となり、数々の産駒を残しており、名馬の功績を称える取り組みも行われていた。

ラブミーチャン死す、Dr.コパさん「たくさんの思い出ありがとう」 笠松競馬所属2度の地方代表馬

 笠松競馬(岐阜県羽島郡笠松町)の所属で、NAR(地方競馬全国協会)グランプリの年度代表馬に2度輝いた名牝ラブミーチャンが31日朝、北海道新ひだか町の谷岡牧場で死んだ。17歳だった。馬主のDr.コパこと小林祥晃さんが自身のX(旧ツイッター)で「ラブミーチャン、牧場で息を引き取りました。たくさんの思い出をありがとう」と愛馬をしのんだ。

 ラブミーチャンは2009年、中央未出走のまま笠松・柳江仁厩舎に移籍。川崎での全日本2歳優駿(Jpn1)を浜口楠彦騎手とのコンビで制覇。2歳馬では史上初めてNARの年度代表馬に選出された。12年にも東京盃を勝ち、2度目の年度代表馬となった。

 当時、笠松競馬は馬券販売が大きく落ち込み、厳しい経営が続いていたが「笠松の快速娘」ラブミーチャンが孤軍奮闘。笠松の名を全国にアピールし存続をけん引した。中央地方交流のダートグレード競走5勝。スーパースプリントシリーズ3連覇を飾った。

 中央でも1勝を挙げ、通算34戦18勝。12年の笠松グランプリでは2着に敗れたが、連覇を果たしたエーシンクールディと名勝負を繰り広げた。

 引退後は繁殖牝馬となり、産駒は5頭。昨秋には笠松町歴史未来館で「ラブミーチャンのふるさとを訪ねて展」が開かれた。笠松ではオグリキャップ、ライデンリーダーに続く存在で、毎年秋に記念レースも開かれている。

 コパさんによると「昨年秋から体調を崩していた。あれだけ強い牝馬で、笠松競馬が大変だった時に所属のまま全国で戦ってくれて感謝しかないです。牧場のお墓に供養塔、笠松競馬場内には記念の像をつくりたい」と話し、名馬の活躍をたたえていく。