対馬丸事件、漂着地で研修 沖輪の児童ら参加 平和への願い学ぶ 鹿児島県・宇検村

AI要約

沖縄から出航した疎開船「対馬丸」が撃沈され、多くの犠牲者が漂着した宇検村で現地研修が開かれた。

対馬丸の慰霊碑に手を合わせる子どもたちは、平和への願いや事件の継承を学び、鎮魂の祈りを捧げた。

対馬丸事件を学ぶ沖縄県内の小学生らが奄美大島との交流を通した平和学習に参加し、歴史と被害の重さを実感した。

対馬丸事件、漂着地で研修 沖輪の児童ら参加 平和への願い学ぶ 鹿児島県・宇検村

 太平洋戦争末期、沖縄から出航した疎開船「対馬丸」が撃沈され、多くの犠牲者が漂着した宇検村で14日、沖縄県の児童らが参加する現地研修が開かれた。漂着地の船越(ふのし)海岸にある対馬丸の慰霊碑に手を合わせるにあたり、同村湯湾の元気の出る館で、碑の建立に携わった元田信有さん(74)が講話。子どもたちは建立に込められた事件の継承、平和への願いを学び、鎮魂の祈りをささげた。

 研修は沖縄県那覇市の対馬丸記念会(髙良政勝会長)が主催する「第3回対馬丸平和継承プログラム」(旧・学童疎開体験事業)の一環。対馬丸事件を学び、奄美大島との地域交流を通した平和学習が目的。沖縄県内の小学5・6年生15人が13~15日の日程で来島した。

 対馬丸は1944年8月21日、学童や一般疎開者ら1788人を乗せ、沖縄県那覇港を出港。翌22日夜、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。犠牲者は1484人、うち学童は784人、一般疎開含む15歳以下は1040人。奄美大島に漂着、救助された生存者は21人。沖縄へと運ばれた遺体は105体とされている(数字はいずれも推定)。

 慰霊碑は元田さんが村長を務めた2017年、宇検集落の要望を契機に建立。元田さんは「慰霊碑は立てた後が大事」とし、18年から始まった沖縄県主催の平和学習交流事業を紹介。「建立は遺族のためもあるが、事件を知らない人々への継承につながる。碑を通した皆さんの学びを誇りに思う」と話した。

 同記念館の平良次子館長(62)は「『目から消えるものは心から消える』という言葉を思い浮かべた。慰霊碑という形にすることで事件を知らない人々の接点を作ってくださった」と感謝を述べた。

 講話後、船越海岸で慰霊祭が執り行われ、犠牲者を追悼。与那原東小学校5年、石垣葵琉(きりゅう)君(10)は「海岸で事件を想像して苦しさを感じた。今後は低学年の子に事件の恐ろしさを伝えていきたい」と継承を誓った。