「僕、ヤングケアラーでした」 平成ノブシコブシ・徳井健太さんが語る小中高校時代 自らの経験を振り返りたどり着いた当事者へのアドバイス「家族を捨てる勇気も必要」

AI要約

ヤングケアラーについてクローズアップされる中、人気漫才コンビの徳井健太さんが自らの経験を通して語る。

徳井さんが小学6年生から高校卒業までヤングケアラーとして家事や家族の世話を担い、その経験を通して当事者と周囲に呼びかけている。

徳井さん自身も当初はその状況を自覚しておらず、自分の体験から他のヤングケアラーを見逃さないよう訴えている。

「僕、ヤングケアラーでした」 平成ノブシコブシ・徳井健太さんが語る小中高校時代 自らの経験を振り返りたどり着いた当事者へのアドバイス「家族を捨てる勇気も必要」

本来、大人が担うとされている家事や家族の世話などを日常的に子どもが行う「ヤングケアラー」の存在が、ここ数年でクローズアップされています。

文部科学省と厚生労働省が2021年3月に発表した調査結果によると、中学2年生の17人に1人がヤングケアラーだとされています。

人気漫才コンビ「平成ノブシコブシ」の徳井健太さんは、小学6年生のころから高校を卒業するまでヤングケアラーだったと話します。

金沢市で7月28日にヤングケアラーについての講演活動を行ったなかで、「家族を捨てる勇気も必要」と語る徳井さん。自らの経験をもとに、当事者と周囲の人たちそれぞれに呼びかけたいことがあるといいます。

■父の転勤で母が精神疾患に 家事と妹の世話は「淡々と粛々と」

徳井さんは、子どものころ千葉県の団地で両親と妹の4人で暮らしていました。そんな中、小学6年生のとき、父親が神戸に転勤になったことをきっかけに家族の歯車が大きく狂いだします。

母親が精神疾患になり、部屋に引きこもってしまったのです。

そこからは、食事を作るなどの家事をはじめ、当時小学1年生だった妹の世話も徳井さんがしてきました。

徳井健太さん「母親が何もしなかったから、僕が料理できたし、炊事洗濯できたし、妹より年上だから妹の面倒を見ていただけなので。別につらいという気持ちもないし、大変だったわけでもないし、できることをただ淡々と粛々とやっていたというだけなので」

徳井さんは中学2年生のとき、両親のふるさとの北海道に引っ越し、再び家族4人で暮らすことになりましたが、母親の状況がよくなることはありませんでした。

仕事に追われていた父親に頼ることもなく、徳井さんは高校を卒業するまで家事と妹の面倒をみる生活を続けました。中学や高校は、午後から授業に出るという生活が当たり前のように続いていました。

■ヤングケアラーは「自覚がない」 徳井さんが気づいたのは今から5年前

徳井健太さん「あいつヤングケアラーなんじゃない?と言ってくれたほうがまだ救えるかもしれない。ヤングケアラーだとの自覚が僕もなかったですからね。大変だと思ってない。洗脳に近い感覚だと思う。小さいときから同じような状況にいて」