羽越本線100年の軌跡(2) 国鉄からJRへ

AI要約

JR羽越本線には県内唯一の貨物駅・酒田港駅があり、貨物輸送でも重要な役割を果たしてきた。

過去100年の変遷の中で、羽越本線は国内外から注目を集め、特別列車の運行や観光イベントで活躍した。

最近は少子高齢化や物流の課題に直面しつつも、酒田市の工業製品や農作物の輸送手段として、新たな貨物輸送の役割が期待されている。

羽越本線100年の軌跡(2) 国鉄からJRへ

 JR羽越本線には県内唯一の貨物駅・酒田港駅がある。人の移動だけでなく、貨物輸送でも貢献してきた。全線開通を前にした1915(大正4)年、支線となる臨港線に同駅の前身・最上川駅が開設された。庄内地域からの貨物輸送の主体は海運から鉄道に変わり、羽越本線がその中核を担ってきた。

 道路網が整備されると、貨物輸送の主役は鉄道からトラックに取って代わられた。87(昭和62)年に国鉄は分割民営化で、羽越本線はJR東日本に移管された。国鉄時代は運行本数の増加で旅客収入増を目指し、羽越本線でも全線複線化に向けた動きがあった。民営化前に小岩川―あつみ温泉間で二つのトンネルが造られたが、財政悪化で列車が通ることはなかった。国鉄時代の名残として、いまもトンネルだけがたたずんでいる。

 この100年の中で、全国から注目される機会もあった。2002年、当時の天皇、皇后両陛下(上皇ご夫妻)が30年ぶりに庄内地域を訪れた際、新庄から酒田までの移動で、特別列車「お召し列車」に乗られた。15年には「全国豊かな海づくり大会」に伴い、酒田―鼠ケ関間で、再びお召し列車に乗られた。

 庄内地域は首都圏へのアクセスが長年課題となっていた。羽田便の空路が就航するなどしたが、鉄道の利便性向上も必要となっていた。課題は新潟駅での上越新幹線との乗り換えがスムーズにできないことだった。18年に在来線ホーム高架化で、特急いなほから上越新幹線への乗り換えが同一ホームでできるようになった。

 少子高齢化などもあり、旅客数の伸びは頭打ちとなっている。時は流れ、運転手の残業規制による「物流の2024年問題」もあり、羽越本線には再び貨物輸送での新たな役割が期待されている。酒田市の工業地帯の製品やコメ、メロンなどの農作物の輸送手段として、重要な役割を担う。市商工港湾課の小林一晃課長は「貨物駅があることは大きな強み。企業を誘致する上での好材料になる」と話し、次代に向けた貨物列車の役割を期待した。