「自分の生まれ育ったまちでウイスキーをつくりたい」大分・竹田に〈久住蒸溜所〉ができるまで

AI要約

日本国内には約100年前からウイスキーの蒸溜所が存在し、現在100か所以上ある。ジャパニーズウイスキーは世界的に高い評価を受け、世界の5大ウイスキーに数えられる。

久住蒸溜所は九州にあり、代表の宇戸田祥自さんは地元でウイスキーをつくりたいという夢を叶えた。コンテンツでは、久住蒸溜所の設立経緯や困難を乗り越えた過程が詳しく紹介されている。

久住蒸溜所のウイスキーづくりには、地元の酒蔵や契約農家の協力がある。安心安全な原料の使用や地域とのつながりを重視した取り組みが紹介されている。

「自分の生まれ育ったまちでウイスキーをつくりたい」大分・竹田に〈久住蒸溜所〉ができるまで

日本国内にウイスキーの蒸溜所が誕生したのは、約100年前。1923年、京都に建設された〈サントリー山崎蒸溜所〉からはじまり、現在は全国に100か所を超える蒸溜所があります。ジャパニーズウイスキーは海外での評価も非常に高く、今では世界の5大ウイスキーに数えられるほど。

ウイスキーの産地といえば「寒冷地」というイメージですが、温暖な気候の九州にも、実はいくつかの蒸溜所があります。そのひとつが、大分県竹田市久住町に設立された〈久住蒸溜所〉です。

代表の宇戸田祥自さんは、ご実家である久住町の酒販店を継ぎ、世界のウイスキーを販売しながら、「自分の生まれ育ったまちでウイスキーをつくりたい」という夢を叶えた、めずらしい経歴の持ち主。そんな宇戸田さんに、蒸溜所の誕生についてうかがいました。

■困難の連続だった、はじまりの年

久住蒸溜所が設立されたのは、世界がパンデミックの最中にあった2021年。緊急事態宣言や外出の制限もあり、生活様式も大きく様変わりした時期です。日々の暮らしさえままならないなかでの事業のスタートは、いったいどんな状況だったのでしょうか。

「ひと言で『あれが大変だった』といえないほど、困難の連続でした。すべてつながりがあり、どれかひとつでもピースが外れたら全部ストップしてしまうので、気が抜けないことばかりでした」

例えば、久住蒸溜所の設備について。スコットランドの〈フォーサイス〉社に設備を発注し、いよいよ組み立てというとき、コロナ禍の渡航制限によってフォーサイス社のエンジニアの来日が叶わなくなってしまったのです。

そこで、宇戸田さんは醸造設備を専門とする〈平野商店〉に設備の組み立てを依頼。地元の大きな焼酎メーカーの設備も手掛ける、大分のエンジニアカンパニーです。

「工場内のフォーサイスが担当する箇所以外の部分はすべて同社へご依頼するつもりで事前打ち合わせは続けていました。それがすべてをお願いすることになったということです」

フォーサイス社の担当者から受け取った図面を頼りに、設備のプロフェッショナルたちが集結。フォーサイス社からもオンラインで指示を仰ぎながら、約半年の期間を経て、ついに蒸溜所の設備が完成しました。

「通常の環境でも困難を極めるプロジェクトですが、パンデミック下でのセットアップとなるとおそらく世界でもレアケースだと思います。もう一度やれと言われてもできるかどうかわからないほどです」

世界の動きが止まってしまったようなあの数年のうちに、「蒸溜所の設立」という大きな夢を実現させることがどんなに難しいことだったか、想像にかたくありません。多くの人々の協力に支えられながら、いよいよ久住町でのウイスキーづくりが始まりました。

■畑から始まるウイスキーづくり

久住蒸溜所のウイスキーづくりには、大分におけるさまざまな「ご縁」が集まっています。まず、蒸溜所がつくられたのは、宇戸田さんが先々代からお世話になっていたという清酒蔵〈小早川酒造〉の跡地。第1熟成庫は、酒蔵時代の貯蔵庫を利用しています。

さらに、ウイスキーの原料となる麦芽の約1割に、県内の契約農家に委託栽培したローカルバーレイを使用。生産しているのは、大分県豊後大野市清川村中野地区の農家が集まり設立された集落営農法人〈農事組合法人グリーン法人中野〉の皆さんです。

「品種選びや栽培方法をすべて提案いただいたり、こちらからリクエストしたりしながら、“畑から始まるウイスキーづくり”を一緒に取り組んでいただいています」

記念すべき最初の種まきには、久住蒸溜所の製造メンバーが参加。そして、初めての収穫では代表の宇戸田さん自らがコンバインを操作し、原料となる麦の収穫を体験したそう。ウイスキーづくりにかける情熱はもちろん、地域の未来に対する思いや、地域への愛が繋いだご縁でもあるのではないでしょうか。