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道路の横断は命がけ!?…長崎くんち諏訪神社前「馬町交差点」へ 1966(昭和41)年映像タイムマシーン“ユウガク”【長崎】
長崎は港を中心に発展し、風の影響を受けない位置にある優れた貿易港として知られる。
平地の少なさから江戸時代以降埋め立てが行われ、交通インフラの整備が急務となる。
昭和40年代の長崎市馬町付近の街並みは道幅狭く、交通事故が多発し危険な状況が続いていた。
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ちょっとひととき…懐かしい “昭和の長崎”を感じてみてください。
NBCライブラリーに残る映像で振り返ります。
1571年の開港以来、港を中心に発展・拡大してきた長崎の町。
長崎港をぐるりと取り囲む斜面地は強風を防ぐ役割を果たしており、帆船時代には‟風の影響を受けない”利点を持つ、優れた貿易港として知られていました。
その一方で平地はほんのわずかしかなく、その多くは江戸時代からの埋め立ての繰り返しによってできた土地です。
明治以降は、そのわずかな平地に鉄道や路面電車を敷設。戦後になると自動車の普及による交通渋滞が始まり、都市の再開発や道路の拡張が急務になっていました。
1966(昭和41)年7月に撮影された長崎市馬町付近の街並みです。昭和40年代、長崎市中心部の幹線道路は道幅が狭い上、路面電車も通っていることから交通事故が多発していました。
桜町から馬町に抜ける国道34号はまだ拡幅されておらず、道沿いには民家や商店がぎっしり建ち並んでいます。
馬町交差点付近は特に交通混雑が激しく、電停へ渡るのも〝命がけ〟です。止まらずに進入してくる車を、歩行者がかわしながら小走りで行き来しなければなりませんでした。
毎日の事で慣れているのか、笑顔を見せながら平気な顔で渡る人もいます。
電停の幅も狭いため電車を待っている間も気を抜けず、この頃は危険と隣り合わせの状況が続いていました。
馬町交差点が拡幅され、朝夕の慢性的な大渋滞がある程度解消されたのは、昭和50年代になってからでした。
放送局が撮影した 長崎の映像を配信している『ユウガク』より