一度はあきらめた教師を目指し、49歳で大学入学の女性 支えに亡き祖父の一句

AI要約

49歳の主婦が通信制大学に入学して小学校教師への夢を追い求める姿を描いている。

過去の夢を諦めた経緯や再挑戦の背景、家族のサポート、葛藤などが描かれている。

教育実習に臨み、児童の成長を見守りたいという意欲や新たな人生へのスタートを切る決意が述べられている。

一度はあきらめた教師を目指し、49歳で大学入学の女性 支えに亡き祖父の一句

 京都府京丹後市峰山町五箇の主婦が、一度は諦めた小学校教師への夢をかなえようと49歳で通信制大学に入学して勉学に励んでいる。5月から地元の小学校で教育実習に臨み、早ければ来年度に念願の教壇に立つ。「一歩一歩、少しずつでも前に進めば夢は実現できる」と意欲を高めている。

 田中信乃さん(50)。第2次ベビーブームの1973年11月に千葉県松戸市の教師一家に生まれた。小学校長を務めた祖父の不可止(ふかし)さんに幼少期から「先生になってくれたら」と望まれた。自身も物心つく頃には教師になる未来を思い描き、英語学科のある大学に進学。中学と高校の教員免許を取得した。

 ところが、就職活動が始まる頃はいわゆる「氷河期」の真っただ中。教員は「高根の花」と諦め、一般企業の道を選んだ。

 胸の内にしまった夢は嫁ぎ先の京丹後市で再び芽生えた。

 10年前に長女を預けた峰山幼稚園で、子どもたちに温かく接する保育士の姿が印象に残った。数年後に子育てサークルの運営を任された時はクリスマスやハロウィーンの催し、絵本の読み聞かせを企画し、メンバーと工夫を凝らした。日々成長する子どもの姿に接する喜びを感じ、人を育てる仕事への憧れがよみがえってきた。

 転機は2022年7月に訪れた。同市教育委員会が小学校の非常勤講師を募集した。市教委に問い合わせると「教員免許があれば今からでも大丈夫です」と歓迎された。

 ただ、大学卒業から30年近いブランクがあったため、「子どもたちに真摯(しんし)に向き合うため」と大学に編入して学び直しを決意。家族に伝えると長女が賛同してくれ、夫も家事を手伝うなど応援した。

 リポート提出や試験に向け、毎日勉強に励む。挫折せぬよう「無理しない」を心がけるが、共に学ぶ仲間がいない孤独との戦いに心が折れそうになる時もある。支えになっているのは、不可止さんが短冊に残した一文だ。

 「人生はこれから勝負古稀の春」

 教師を退職した後、亡くなる73歳まで書道に打ち込んだ祖父の一句は「50歳の私なんてまだまだこれから」と励まされる。

 教育実習は5月20日から始まる予定で、「自分の子を育てるように児童の成長を見つめ、育みたい」と新たな人生のスタートを心待ちにしている。