アルプスでミトを走らせ、アルファ・ロメオに思いを馳せる アルファにとって一番大事なものとはなんだろう?【『エンジン』蔵出しシリーズ/アルファ・ロメオ篇】

AI要約

記事では、車載試乗記を通じてアルファ・ロメオの魅力を探る旅が描かれている。ミトを使いアルプスを訪れ、クルマの性能や快適性、歴史的な展示を巡るムゼオ・アルファの様子が描写されている。

高速道路から山岳路まで様々な環境での試乗を通じて、ミトの性能や操作性についての詳細が述べられている。特にアルファDNAのスイッチやダイナミックモードでの走行がハイライトとして挙げられている。

試乗の中で訪れたアオスタやシャモニーなどの地域についての描写や、アルファ・ロメオの歴史に触れるムゼオ訪問の様子がリアルに伝えられている。

アルプスでミトを走らせ、アルファ・ロメオに思いを馳せる アルファにとって一番大事なものとはなんだろう?【『エンジン』蔵出しシリーズ/アルファ・ロメオ篇】

雑誌『エンジン』の貴重なアーカイブ記事を厳選してお送りしている「蔵出しシリーズ」。今回の「アルファ・ロメオ篇」は、2008年12月号に掲載したミトの海外試乗記をお届けする。イタリアといえばアルファ・ロメオ。そう言って、本誌サイトーはまたもアルプスへ向かったのだった(笑)。

◆休日のドライブに

月曜の朝9時。ミトを受け取った。

2日間、このミトは僕のものだ。明日は夕方5時までに返さなければならないから、無理ができるのは今日だけ。これからアルプスを目指す。

9月29日。峻険を越える峠道は、まだ、閉鎖されてはいないはずだ。カメラマンの望月さんには長い1日になることを了解してもらってある。さっさと街を抜けて、北を目指そう。

けっして小さくない荷室に撮影機材を積み込んで、僕らはミトを走らせ始めた。ホテルは街はずれに近いところだから、南下すればすぐにタンジェンツィアーレ(環状高速)に乗れる。内回り線に合流し、そのままどんどん行けば、アルプスの麓町アオスタはすぐだ。

ここ数年で速度違反の取り締まりがひどく厳しくなったせいで、イタリアといえどもアルファやBMWでカッ飛んでいた地元の韋駄天ドライバーもすっかりおとなしくなった。追い越し車線を急ぐクルマも制限速度の130km/hをだいたい守っているし、抜かれざまに「アイツ速いな」と思うことがあっても、せいぜい140+ぐらいで、160を軽くオーバーするスピードで抜きさっていくような輩には遭遇しなくなった。

そういう速度で走らせながら、ご自慢の新兵器、アルファDNAのスイッチをノーマルからダイナミックに切り替えようとしたら、「選択できません」という英語表記がメーターの中に出た。それならオールウェザーは? と思って試したら、これも同じ答えが返ってきた。高速道路に乗る前は何のためらいもなく切り替わったから、速度が上がると、自動制御モード・オンリーになるということなのだろう。

高速道路を巡航するような状況下にあると判断されると、あとはアルファの開発陣の詰めたプログラムに従うことになるわけだ。

それで不満があるのかといったら、答はノーだ。サスペンションのスプリング・レートは高めのそれだから、バネの反発は強い。けれどその動きを可変ダンパーが適切に締めてくれるから、うねりに遭遇したりしてもせわしい動きには直結しないし、装着タイヤがBSのRE050Aということもあって、速めの動きは出るのだけれど、そこにしっとりとした感触が加わるから、不快感はない。快適至極のクルーザーとはいえないにしても、上手いこと寸止めの利いた脚とは言えると思う。

それにしても、ゆっくりと観察できるのが嬉しい。バロッコ・テストコースの周辺一般道で短時間しかステアリングホイールを握れなかった慌ただしい国際試乗会で溜まった鬱憤も、これで晴れようというものだ。

脚だけでなく、スロットル開度特性やステアリングの操舵・保舵力についても、お任せプログラムで問題ない。とくに気になることはない。関連統合制御システムをアルファとしては初めて取り入れたクルマなのに、上手いこといったようだ。

そうこうしているうちにアオスタ・エスト(東)出口が迫ってきた。ここで高速を降りて、サン・ベルナール・トンネルを目指す。峠を越えずに、有料トンネルを使って国境を越え、スイスへ入る。風光明媚な山間を抜け、やがて視界が一気に開けて、裾野を見下ろすマルティニィの街へ入る。そこで踵を返して斜面を駆け上がり、国境を越え、今度はフランスへ入る。

しばらくするとアルプスに抱かれたシャモニーの街へ入る。岩肌に雪を残したモン・ブランが見えてくる。近隣の峰の頂を目指して遥か天空へと上っていくロープウェイから眺める下界を想像して背中が寒くなる。

ミトは、そう、気心の知れた友人と観光ドライブをするのに使っても、煩わしさを何一つ感じさせることなく、快適に乗員を運んでくれるクルマだ。多くのひとは現実に、休日にでもなれば、クルマをそうやって使う。通勤に使い、行楽に使う。そうやって使って後悔させないクルマだ。

◆険しい山岳路で輝く

シャモニーの街を抜けて左へ折れると、すぐにモン・ブラン・トンネルが待っている。厳しく速度制限が課されたこの長いトンネルを抜けるとそこはふたたびイタリアである。モン・ブランの頂を反対側から見上げる南壁へと突き抜ける。標高はまだ優に2000m以上ある。そこからそのままアウトストラーダに乗ってしまえば、アオスタは目と鼻の先。でも、高速へは合流せずに右へ折れ、ピッコロ・ベルナルドを越えて再度、フランスへ入る。ほどなく九十九折りの峠道が待ち構えている。

それまでは「こんなにギア比は速くなくてもいいのに」と思っていたミトのステアリングは、しかし、そこでその最良の部分を見せつけてくれた。速いギア比はまさにうってつけ。慣性マスがまとわりつかない軽いノーズはぐいぐいと向きを変え、締まった脚は、ノーズの速い動きにも、無用なロールを許すことがない。

スイッチを操作してダイナミック・モードを選べば、アクセラレーターへの動きを待ち構えていたかのようにスロットル・レスポンスは速くなる。ターボ・ラグを最小限に抑え込んだ1.4リッター・エンジンは、きついヘアピンからの脱出にも、優れたピックアップ・トルクを捻り出して応えてくる。重さを感じさせない軽やかな回転フィールとこの大トルクのコンビネーションが、新しい。気持ちいい。そして、ドライバーは、息をつく間もなく右へ左へと九十九折りを泳いでいくミトのなかで、「これでこそアルファだよな」と独りごつことになるのである。

ヘアピンの連続を終えてグランデ・アルペ街道へ入ると、遠く左のイタリア国境と平行して走りながら南下する。谷間の小さな町、ヴァル・ディゼーレを過ぎると、再び、険しいワインディング・ロードが待ち構えている。崖に張り付くように走る狭い道は、ガードレールもなければセンターラインもない。大げさでもなんでもなく、生きるも死ぬもドライバーとクルマ次第。日本にいては死ぬまで知ることのない自己責任の道である。わざわざアルプスのなかを走るというのは、そういうことだ。

レジエーレ峠は2700m超え。凍結警告が表示されると間もなく、外気温度計は0℃まで下がった。冬を前に人気の消えた駐車場に停めて夕闇が迫るなか外へ出ると、すぐに歯がガチガチと鳴り出した。それでもシャッターを切り続ける望月カメラマンのプロ意識に感心しながら、待つことしばし。痩身の僕はもはや限界。クルマに逃げ込むと、ファインダーに映らないように身を伏せて、空の光がなくなるのを待った。

戻ってきた望月さんとヒーターを最強にしたミトのなかで体温を取り戻す。ヴァノワーズ国立公園に沿って走り続けると、チェニス山を越えてイタリアへと到る最後の峠が待っている。ヘッドライトの明かりを頼りに走りきると、夜の帳が落ちきったスサの街にでた。イタリアだ。

気づくと、僕らは食事をしていなかった。途中、給油したスタンドで買った干し葡萄を口に押し込んでいただけだ。しかし、すでにスタートから11時間以上が過ぎている。睡魔と闘い始めた望月さんに休むように進めながらアウトスラーダへ乗り、一路トリノを目指して僕は飛ばした。ミトは速かった。トリノはあっという間だった。街へ入ってピッツェリアへ入った僕らは、1日分の食事にありつこうと、パスタとピザを貪るように食べたのだった。580kmを走りきってホテルに辿り着いたのは、出発から13時間が過ぎた22時だった。

◆ムゼオ・アルファを訪ねる

翌日、さしたる疲労も感じずに目覚めた僕らは、ミラノへ向かった。郊外のアレーゼにアルファ・ミュージアムを訪ねることにしてあった。2010年にアルファが創設100周年を迎えるのを記念してリニューアルと規模拡大が決まり、長い休館に入ったばかりのところへ、無理を言って入れてもらうお願いをした。そこを訪れるのはこれで5回目だったか、それとも6回目だったか。

ムゼオの中は、ところどころ配置は変わっていたけれど、静けさに包まれて往年の名車が眠るさまは、記憶に焼き付いているそのままだった。ダラックに迎えられてALFAの1号車を目にした後は、戦前の超弩級レーシングカーや高級車がずらりと並ぶ壮観なさまに圧倒されて、敗戦の後に始まった、戦後のアルファ・ロメオとともに時間を下る。時間はフィアット傘下に入る直前で止まっている。アルファ・ロメオの誇りがそこで停めたのかどうか。

新しく生まれ変わる博物館は建物も改築され、展示車両の数が、2倍に増えて250台にもなるという。

感慨を新たにして、僕らはトリノへ戻り、旧い本社のリンゴットに残されたフィアットのオフィチーネに、赤いミトを返したのだった。

文=斎藤浩之(ENGINE編集部) 写真=望月浩彦

(ENGINE2008年12月号)